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彼が生きる小さな世界 [マボロシの男たち(エロ風味)]

彼は日々、小さな世界で生きている。

元々、私が彼を知ったのは、web上で載せている路上観察ネタからであり、出発点がそもそもそんな具合だから、彼の感じる日々の喜びが小さくささやかなものであるというのは当然の帰結かもしれない。

スピードがさ、違うんだよね、とポルコ・ロッソくんはいう。
「面白いのは、ものすごく速い人とものすごく遅い人のコンビだからある意味絶妙といえるんだよ。つまり中途半端にずれていると落差がつくんだけど、一周速いのか一周遅いのかあるいは両方なのか。どちらにしろ結果同じところにいるっていうのがさ、すごいとおもう」

私もそう思う、と同意してみる。ときどきいらいらするよ、と付け加えた。「でも結局そういう風に思ってしまったら“負け”というか、私は彼のその独特の速度が好きになってわけで、そこを否定してしまうことになるでしょ?だからイライラすると自己嫌悪に陥る」

ごちそうさま、と声を上げてポルコくんは笑う。本能なんだよね、と気にせず続ける。

「私もいい加減かなり感覚的な人間だと思ったけど、彼には負ける。彼には感情も無くて、ただ快不快原則、それに従って動いている。だけれども無節操ってわけではなくて、“少年の純情さ”を堅守しつつ、しかもあの年で自覚的に。そこが凄い。私なんてロジックで動く、非常に論理的なツマラン人間であることがよく分かったよ」
それはどこか敗北感に似ていた。勝つ気なんて、元からさらさらないけれど。

この間、俺の髭が枝毛になっている画像送ったでしょ?と彼からメールが来た。メールには小さな毛で白い紙を引っ張っているようなフシギな画像が添付されていた。髭枝毛、面白いからとっておいたんだけど、今日、それがかなり吸着力があるってことに気づいたんだ、こんな風に紙に吸い付いて結構丈夫で容易にはとれないんだ、でね、と彼の文章は続く。
「多分自分は、対不特定多数あるいは対誰かと、対峙したり議論したりというのがすごく苦手で、おそらくできないんじゃないかとすら思う。自分の“星”は、こういう小さな発見を隣にいる誰かと分け合って生きていくことだと、なんとなく啓示を受けたんだ。」文章は、ボクはこんな人間だけどどうかよろしくね、と締めくくられていた。

彼はかそけき音へ絶えず耳を傾けながら生きている。はたから見ればそのちっぽけさは哂う対象にすらならないものだろう。だけれどもそれはあの粘菌の世界のように、ミニマムだが驚くほど芳醇で多様な広がりをみせ、そして深い。私は彼と顔を寄せ合ってその世界を見つめていきたい、とふと考えた。


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馬鹿だ馬鹿だ私は馬鹿だマンコ丸出しなお馬鹿だ [マボロシの男たち(エロ風味)]

つまり週末ごとにサンパツ抜きあうような状況ってわけ。

怠惰にこもって出し入れ出し入れ。股関節の痛みと精子のにおい漂うナニとともに朝目覚める。覚えてるのは天井だけなんて今過ぎゆくのはそんな日々。

さていいのか悪いのか。こうなってくるとツマラン疑心暗鬼のようなものが生まれてくる。これは女の性(性と書いてサガと読む。範馬刃牙仕様)というかなんというか。いわゆる「私と会っているのはセックスしたいそれだけだからでしょ!」キーキー金切り声上げて無い眉尻をつりあげてみたりみなかったり。

そんなことを男に聞いてもねえアータ「そんなことないよハニー、僕が愛しているのは君の肉体(と書いておマンチョと読む。詠み人知らず)じゃなくてキミの精神だよ心だよ頭脳だよ知性だよ知識だよ」と代替部分を列挙されるごとに、ああなるほどおまんまんだけなのね、と当方納得するわけです。

人間ってカナシイねえ。セックスしなきゃいけないからだよ、とはジョージ秋山御大の言葉だが、まさにその通り。カナシイケド美しいよ、とずるり引き抜かれた後の空洞を晒しながら、今日もアタシは手羽先をバリバリと食らうのであった。


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振られた [マボロシの男たち(エロ風味)]

そういうとき、私ならどうするだろうとふと考える。

そんな経験は腐るほどありますので(いってみたいな未経験)黒歴史からひきずりだしてくれば、過去問より傾向と対策を導き出すのは造作ないことだ。そんなこんなで思い返せば、いつだって大事にしているのは、どんな場合でアレ、相手のことを悪くは言わないということだった。

自分へ問題の論点を帰結させるのは、いたずらにだめんずを引き寄せるだけなのかもしれないけれども(嗚呼都合の良い女)、それでも自分のプライドをかけて、私に足りないところがあったからいってしまったんだ、と思うし、そう思いたい。相手の問題をあげつらうのは簡単だし、いくらでも指摘できるけれども、だからこそ、そこは触れずに内省したいのだ。美化する必要もないが罵る必然もない。原因はただ自分の至らなさ、ゆえ。

まあそれも結局は、自虐的なヒロイズムに酔っているだけかもしれない。けれど。

でもやせ我慢だろうがなんだろうが、私は矜持を遵守したい。幸いにして現在は赤黒くひりつく痛みについて考える必要のない状況ではあるけれども、それも実際のところいつまで続くのか分からない(努力はするが)わけで、今この時点で既にある程度の心構えを準備してしまう私は、もう「アイ」という共同幻想の中に埋没してただひたすら惰眠をむさぼり甘受できるほど若くないんだろう。

いってしまったアナタの背中は美しく輝きに満ちている。見とれてしまうから私はいつだって、追うことすらできない。


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アグレッシブ童貞論(または40歳の童貞と17歳の素人童貞と60歳の疲れマラなら70歳のバイアグラを選択すべきよね) [マボロシの男たち(エロ風味)]

いつまでが童貞喪失適齢期なのか、愚かな私には皆目見当がつかないが、おそらく25歳~30歳頃までキーピングバージンボーイであると珍しい部類なのかもしれない。そのぐらいになると二種類の童貞に区分されるのではあるまいか。結果としての童貞か目的としての童貞か。このあたりは受動的な童貞か能動的な童貞かにいいかえてもいいかもしれない。まあなんだ見た目がアレだとか雰囲気がアレとか様々な事情によりモテないが故の「童貞」(=結果)か、降りかかるまんこは気合をもって撥ね退ける俺様の息子はそんな女じゃ満足できないんだぜ(I can't get no satisfaction!!!)という類の童貞か。ひとくちにお年を召した童貞といっても二分されると私は思う。まあどっちもアレっちゃアレですが。

「生涯イチ童貞でいいと俺は思ったのね」と30歳の童貞男コミヤマくんは語る。

ヤツはあれだ。認めるのは非常に阿呆らしいし腹立たしいのだが(小宮山投手をヨシとするタイプの人間なら)見た目は問題なく背も高くスタイルも声もいい。そのあたりにいる女をスルッとget(死語)することなど造作もないことだろうに。「まあ俺もね」と彼は続ける。「ルックスいいのは知ってるしわかっているんだけどさ、でも妥協はしたくないわけ」ということらしい。あの顔で「好きな人にささげたかったんです」と言われると対象が女人じゃなくて雄雄しい男子(髭面田亀センセイ仕様)という気がしてくるから人生ってフシギねダーリン。閑話休題。

つまりなにがいいたいのかというと、童貞を守るということは穴に入れる入れないといった瑣末なことではなく、女体には触れずということでもなく、魂の問題なのですよ。童貞魂をいかに守りきるか。童貞魂の対極にあるのは「妥協」。そういう意味では穴にいれないから童貞を自称するといった行為はまず糾弾されるべきで、そんならいっそのことすっぱり風俗でスコスコインアウトするほうが童貞魂的には是とされるのだ。こんなことはいまさら私なぞがいうまでもなく、みうらじゅん先生あたりが何度も言及しているわけだけれども、奇跡的なまでに童貞魂を保持しているレアケースを目の当たりにするとなにかいわざるをえなくなったわけです。有象無象の元童貞どもよ、童貞魂の手入れはしているかね?あの瑞々しい鮮度を失ってジュンイ~チワタナ~ビみたいな愛ルケ状況ぬるま湯ゆるまんにずるずる愛液まみれとなっちゃいねえか?つまらん女とやることで日々流されてないか?どうでもいい女に精子を配給するぐらいなら貯蔵熟成するぐらいの覚悟を見せておくれよマイハニー。テキトウな手打ちするぐらいなら風俗へ行け。そうでないなら罵倒をものともせず謗りを励みとし童貞を恪守固守死守せよ。童貞に殉じろ。妥協を廃し徹底的に求めよ。さすれば与えられん。

んでもってヤツはめでたくつい先日30歳にして童貞喪失という栄誉を勝ち取ったわけだが、彼の童貞魂いささか錆びる気配はなく、この胸の動悸やら時間の観念の自在さはどうしたものか!?と一人もだえていたりする。この童貞魂の不変化具合よ、なンと素ン晴らしいことか。とにかく、一発やったぐらいで100年前から俺のいなりは黒光りみたいな態度をしていてはイカンということなのです。わかったかね民草よ。


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パンチドランク・ラブ(といっても映画じゃなくて実際にぶん殴られたらどうなるかってお話し) [マボロシの男たち(エロ風味)]

ハニーたち。昨日今日は無事にクリトリスいじったかしら。それともナニをいじっているタイプの方々も大丈夫よ無問題。大切なのは愛と平和とファックな嘘っぱちですものこんにちは。ご機嫌いかが?

そんな風に「愛」についていささか悲観論者な私でも、一発でもっていかれるタイプの男、というのがいたりする。それはなにかと尋ねられればつまりコンプレックスで自縄自縛となっている“外に快楽を装い内に悩み煩う”といった風情の男よダザイはん。だからそのテの輩が目の前に現れると“地獄の底へ落ちる私を何も言わずに微笑むアナタ”となってしまうわけ。ああハニーあたしだけを見つめて頂戴プリーズミスターポストマン。

クリスマスに奇跡が起きるってホントね。

私にとって「愛」と「シヤワセ」は同居しないというのがここんとこの不文律だったりするんだけど、今回はこの恐るべき世の中にただ一人震えさせておくのも可愛そうだと“あの方”が思ったかどうかはしらねえけど、ちゃんと見つめたら見つめ返してベーゼぐらいちょっとくれるようなヒトを送ってよこしたらしい。この「シヤワセ」がいつまで続くのかは“あの方”のみぞ知るってことだけど、とまれ、このワンダーに満ちた世界はまだ少しだけ私に優しい気がしました。

とにかくせっかくですもの、しばらくおまんこをきれいに洗おうと思ったわ。感謝いたします。冒涜者なんて思っちゃいやん。だって私はいつだって熱烈に愛しておりますですよアナタを。だからお願い。もう少しだけこの「シヤワセ」な気分のままでいさせて。上等のシャンパン飲んで「世界は俺のもの」と酔っ払ったような気持ちのままで。


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或る夜の会話(親しげな緊密さで) [マボロシの男たち(エロ風味)]

友達が結婚することになってさ、とわたしは話しかけた。

「ツヴァイとかいうロシアブンガクシャみたいな名前のところでみつけたらしいよ」とカツゼツよく。その冗談はまったく面白くない上に何の意図があるのかわからないな、と不機嫌そうでもなく彼はいう。わたしもはいろうかしら、と少しずらしてみたりすれば「いい人ができるかもしれないし?」と電話の向こうは声を潜めて笑う。まあねえ、とわたしはうける。

「そりゃいるわけないとは思うけどさ。映画文学音楽政治時事とコチラの望む全てにわたってプレイできるようなオールラウンダーなんてさ。嫌なことを言ってみると、多分私って院生院卒レベルじゃないとダメって気がして最近」わからないよ、と彼は明快かつ朗らかに。「キミ、それは差別だよ。コウインだって素晴らしい頭脳を持った人がいるかもしれないし」コウインってアームカバーして金数えないほう?村崎百郎みたいな天才は知らないわ。

贅沢を自覚しろよ、と彼は言う。「そんなやつはいないし、せめて分業制にしたら?」とはいうものの、でもさ、例えばよ、じゃあ政治の話をあの人としてくるから行ってくるねサヨウナラなんて、男にしてみれば最大級の侮辱じゃない?と私が返すと、そりゃあまあねえ、と口ごもってしまう。だからアナタの同僚を紹介してよ、と迫ってみれば「いやキミとは政治的立場を異にする奴ばかりだからさ」と呵呵大笑。アナタ含めて、政治的立場が同一な人と、私おつきあいしたことないのよと含み笑えば、受話器の向こうは少し押し黙る気配がする。

過去か、と彼が呟いた。過去よ、と私も呟いた。


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ヂャズの音色は解放的で [マボロシの男たち(エロ風味)]

思えば、YMOもテクノもゲルニカも上野耕路もロシアンアバンギャルドもノドチンコ(ロドチェンコ)もプロパガンダ芸術も政治思想もおきなわんちるだいも、みんなミッチェルに教わったものだ。

だいたいテクノとかニューウェイブなんてケッと思っていた(だって電子的なものって苦手だったんだもん)私に、「そう食わず嫌いでいるものぢゃないよ」とアルバムだのなんだのを貸してくれ、盲をひらいてくれたのは彼なのだ。人工的なイカガワしさに幻惑させられる面白さはおそらく彼がいなければ知りえなかった世界だろう。知ったのかもしれないが、たぶんそれは今じゃない。

右だの左だの政治的な立場は違っても、一つのテキストを基にして導き出したお互いの位置を理解する、その必要性を教えてくれたのは彼だ。そうでなければ2ちゃん的罵りあい、ネットプロパガンダにたやすく騙されていた白痴で終わっていたかもしれない。「1984」は「いまここ」で展開されているということを実感させてくれたのだ。彼は。

「ジュンとは間違い電話で知り合った。きっかけからして身もふたもない」と書いたのは鈴木いづみ(「ハートに火をつけて」)だが、私たちの出会いなんて、もっとどうしようもない。ここでちょっと触れたが、私がネタで某宗教団体へ潜入した際に、同じようにネタで参加していた彼と知り合ったのだった。そういうわけで私たちがともにサブカルチャーを愛する「同志」としての側面があったのは、当然の帰結といえる。面白いと思う方向性が同じというのは強かった。だがそれは男女間としての「強み」ではなかったのかもしれない。

私たちの破綻は(見ないようにしていた期間を考慮すれば)すでに去年の終わり頃には明確になっていた。それには様々な事情があるけれども、それをつまびらかにしたところでチラシの裏にでも書いておくべきことだろうから、ここでは触れない。ただそういうことがあり、お互いもう「時期」がきていた、ということを記しておく。えらそうだな。まあいいか。

私は昨日書いたような事情により、どうしても人を切るとき、別れ際が不得手になり、そこで人に頼ったりして。本来ならばきちんと「自分で」決めて、切り出さなきゃいけないものなのに。そういうツケがきたのが9月よりはじまる「狂乱の時間」で、なにもかもが落ち着いてきた今では、単なる苦い笑いしか浮かばないのが正直な感想。出会いと別れが立て続けにあって疲れた、というのもあるけれども。

落ち着いて考えてみると、おそらく彼ほどウマの合う人は(過去現在そして未来においても)いないのでは、と思う。あとどれだけ私が生きるかわからないが(明日死ぬかもしれないし)、断言できる。そしてそれは彼もじゃないのかと、身勝手は承知の上で、八重山離島一人旅を決め込んでいる彼に電話をした。友達に戻らないか、と。

ウマがあう、というのはノリだけでやっていくようなもので、最初はポンポンと手を打ち合うように勢いづくが、人生の重大事、深遠を覗くときに、性格と立場の違いが顕わになってしまうと、もうだめになってしまうんだな。理解は出来るがわかりあえない。そうなると距離だけがひらき、位置は同じという限りなく友達に近い状況に陥る。そうなったらもうあとはいつ決断するか、それだけになってくる。

そんな話を彼とした。

彼は「蜜月時代は終わって後は殺伐とするのだ」なんてことをいっていたが、「これからの日米関係のように成熟したパートナー関係を維持していくのだ」と笑った。八重山の民宿でクーラーもなくただ蒸されている彼を思い、そうだねえと私は答えた。「美しい友情のはじまりってやつ?」

とりあえず来年、みんなで沖縄いこうよ。離島に行こうぜ、と話をしめて深夜の電話は終わった。ようやくすべてが落ち着くところに落ち着き、私のツケ払いをするときがきたな、と思った。美しい友情に囲まれて、私は一人で生きていくのだ。


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ハニーダーリンアイラブユー [マボロシの男たち(エロ風味)]

どうせたいしたことなんて考えてないのだ、と私は思う。太陽は夜も輝くなんて形而上学的なことはどうだっていいし、女が子宮で考えているかなんてことにも興味は無い。私が考えているのは、ただあのときなぜアナタが振り返ったのか、逆光のせいで表情が見えなくて、なにかをいいかけていたような気がして、あの日、暗く詰めたい目の奥をじっとみつめた、そのことだけなのだ。

アナタはあれ以来、私を見ない。

 


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みじかい永遠 [マボロシの男たち(エロ風味)]

暗い空が瞬き、顔に冷たい感触を覚えれば、本降りはもうすぐそこだ。

家に向かって自転車を漕ぎながら、考えているのは、もうずっと前から囚われていること--彼のことを、6年付き合ってお互いの底の底を見つめあったあの人のことばかり、今は頭に浮かぶ。振り払うことなんて当の昔にあきらめたけれども、そして最近は夢みることもなかったのに、またいつものように彼は現れ「なにやってんだよおまえは」と私を叱る。眩暈がする。大粒の滴が落ちてくる。早く帰らなければ。でも、どこに?

私があの人と知りあったとき、お互いに幸せとは言いがたい状況だった。

彼は初めて愛した女と別れ、私は迎えに来るといった言葉を信じて片方だけの婚姻届を見つめつつ、ただ時間を咀嚼しているばかりだった。みなければならないものから身体を背けることで、精神の安定を図っているような有り様だった。そんな私を彼はひょいとすくい上げたようなものだ。彼にしてみれば、最初はなんの感情も無かっただろう。ただかわいそうと思ったくらいで。私は、それでもよかった。彼のような人に会ったのは、生まれて初めてだったから。

私は彼を愛したのだろうか。それは違うような気がする。私は彼にすべてを委ねた。彼の中に絶対性を見いだし、そこに依拠した。これを「帰依」とよび宗教という見方をすることも可能だろう。その通りで、彼は私にとって神にも等しい存在だった。神など当の昔に朽ち果てて死に腐れたなどと嘯いていた私だが、彼だけは自分の存在をかけて信じることができた。そしてそれが彼にとってどれだけ負担だったかわからないほど、若くて馬鹿だった。

彼が誰を見ていようと、私はそばにいられるだけでよかった。おのれの神が自分を省みないからといって信仰を捨てられる者がいるのだろうか。そういう意味では私は実に敬虔な信者だった。手負いの獣同士だったが、傷をなめあうことはなかった。彼は私が自力で立ち上がるさまをじっと見ていた。死にたきゃ勝手に死ね、俺に迷惑をかけるなと言い放たれたことで、自分の甘えを自覚することが出来た。彼は法律であり、指針であり、行く先であり、私の背後で支えてくれ、おおよそ考えられる限りの、すべての関係性を担ってくれた。

だが、私は。彼を捨てた。それは廃棄だった。

私は彼から社会常識から女としてのあり方から自分自身のレゾンデートルまで、ありとあらゆることを学んだ。野生児のように、生まれたままでいることをよしとし、教えられることを拒否し続けていた私は、初めて「私」になるための教育を受けたのかもしれない。一人で立ち上がることも容易ではなかったのに、いつの間にか、自分の足で立ち上がり、周囲を見回し、その手でつかめるようにまで、なった。一人で生きていけるのかもしれない、と私はおもった。傲慢にも。

彼は疲れていた。

男にとって骨身にこたえるのは、年齢よりも仕事ではないかと思う。彼の仕事は、技術を向上させればするほど、己の首を絞める様相を呈していた。はたで見ていて、おととしよりも去年、去年よりも今年と下がっていくのがよく分かった。だけど私にナニが出来るだろうか。私は私で、自分の仕事先でパワーハラスメントを受け、毎日三時間しか眠れない日々が続いていたのだった。彼の顔を見るたびに、お互いため息をつくような時間ばかりで。置いてかれてしまった、と私は思った。

彼とはもう一緒に歩けないのだ、と思い込み、ひたすら他の男を捜した。誰を?彼と同じ人を。彼と同じように私を扱う人を。そもそも、そんなものは無理だとわかっていたのに。

見つけたのは結局、彼とは正反対の、私とは性格も違うのにひたすらウマだけはあう男だった。私は靴を履き替えるように、その男に替えた。直接彼に告げられない私は、メールで簡略に書き送った。私の携帯には毎分彼からの電話がきた。家は待ち伏せされ、PCも携帯も彼からのメールでいっぱいになった。家には戻らず友達の家を転々とする日々が続いた。どうして別れたかったんだ?と彼のメールにようやく「先が見えないから」と返信することが出来た。そうか、と彼から返事が来て、それっきりだった。私はあのとき世界を失ったのかもしれない。

出会ってからずっと毎日、彼の夢ばかり見ている。最近、内容が変わってきた。彼が死体となっている夢ばかりみる。彼の死体をどう隠すのかそれを思案する、そんな夢ばかりを。

そして、いま。乗り換えた男とも別れてしまった。私は男を見るたびに、彼の影を求めている。そのことがよくわかった。結局、籠の鳥はどこにもいってはいなかったのだ。私から別れを切り出すたびに、その男ではなく、あの人に別れを切り出しているような、傷つけているのはあの人のような錯覚に襲われる。また同じようなことをしていると思い、あの人にされたことしたことしてもらったことが錯綜し、結句、この体に刻印されるのだ。罪科を背負ったトガビトとして、私が生きている限り、この責めは続くのだと。いまも傷口からは血が噴出し、癒えることは生涯ない。彼への愛情が捨てられない限り。私という人間が彼によって作り上げられた以上、出来るはずもないが。

だからこそ私は、棄てられるほうが棄てるよりも気が楽だ、と言い切る。このような煉獄にとらわれ、後悔と告解との狭間で生きていかざるを得ないのなら、捨てられ女を甘んじて引き受ける。もし神様がたった一つ願いをかなえてくれるとしたら、私は多分「よい文章を書かせてくれ」というのだろうが、でも二つ、かなえてくれるとしたら。「彼と同じ年齢にしてください」というと、思う。それならば、あの時彼が抱え全身からにじみ出ていた疲労も、私の至らなさもお互い理解できただろうし、決定的な行き違いも、起きなかったのではないだろうか。偽善的なのはわかっているし、タダの自己満足であることも重々承知だが、私は(たとえそれが自分の罪責感からくるものだとしても)願わずにはいられない。彼がしあわせでありますようにと。幸せであることを、わたしは祈り続けている。いまこの瞬間においても。みじかい永遠の中で。


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世界の果てへバイクのケツで [マボロシの男たち(エロ風味)]

気がついてみれば、既に空気は次の季節の準備をしていた。

お台場はやたらに明るく広い。空はうんざりするほど青いものだから私はハニー1号に、なんだかな、とため息をついた。
バイクのケツに乗っかって、レインボーブリッジを渡れば、小学生が列をなし、緑の旗がひらひらと先導する観光地があらわれる。人工的に作られた砂浜までふらふらとたどり着けば、手前に見えるかすかに澄んだ海は、それでもすぐにコールタールのような重い質感へと変わっていて。潮の匂いと観光船。私たちはそれらを眺めながら、ただ天気の話をしていた。まあさ、一人になってみるのもいいんじゃない?といくらかお気楽そうにハニー1号。そうね、とこれは私の本心で。

偽物カフェのテラスに陣取り、仕事の話を聞きながら、私はあの人のことを考えていた。私が6年かけて愛して、そして廃棄した男のことを。どちらにしろ罪障感に襲われるのだ。別れのたびに繰り返し。
「忘れたほうがいいんじゃないの?」とハニー1号が声をかける。誰のなにについてなのか一瞬わからないというのがねえ。我ながら苦笑しつつ、2年前のことをあれこれいったってしょうがないでしょ、と続けるので、どうやら私は口に出していたらしい。まあね、と応じてみる。

有明のあたりを、トラックの間をぬうようにしてバイクは進む。2016年東京オリンピック選手村予定地、なんてのをみると、その頃、私は生きているのだろうかと思った。そんな年になった。

バイクはそのまま秋葉原から言問橋、あの江戸の空気をかすかに残す隅田川のあたりをとおる。両岸に浮かぶビルの明かりと、川の先にゆらりと浮かぶ高層ビルを眺めつつ、綺麗だね、ここのあたりが東京ではいちばんいいね、と怒鳴り合い、声は喧騒と騒音にまみれてかき消されていく。

ああこのルートだ、と私は悟る。2年前、この道をとおって私はあの人の元へと。毎週のことも有れば、10日、いやもっとか。以前読んだ漫画のセリフを思い出した。『男は生まれてからずっと母親の胎内に足を残したままなんだよ。初めて女を知ったとき、その足がようやく引っこ抜けるんだ』私の身体はまだあの人の中に残されている。それなのに。ごめんね、とつぶやけば、言葉は形となり、頬をつたう。すぐに風が流してしまうけれど。

「男はね」と前から声が聞こえた。「本気で泣かれるとどうしていいのかわからないんだよ」泣いてなんかいないさ、と私は微笑む。自己満足の極みじゃねえか。大丈夫。なぜなら。

私には住むところがあり、職もあり、こうしてでかけられる男の子もいる。なにかあれば電話できる先がある。それはつまり幸せ者ってことなんだ。これ以上、なに望むものがあるだろう。天を仰いでビルの中に浮かぶ小さな茜空を見つめた。神様がいるとするならば、ありがとう、私はアナタを愛している。私につながるみんなを愛してる。ありがとう。時折嫌な音を立てる前輪を無視して、私たちはそのまま世界の果てへ走っていった。


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