SSブログ

みじかい永遠 [マボロシの男たち(エロ風味)]

暗い空が瞬き、顔に冷たい感触を覚えれば、本降りはもうすぐそこだ。

家に向かって自転車を漕ぎながら、考えているのは、もうずっと前から囚われていること--彼のことを、6年付き合ってお互いの底の底を見つめあったあの人のことばかり、今は頭に浮かぶ。振り払うことなんて当の昔にあきらめたけれども、そして最近は夢みることもなかったのに、またいつものように彼は現れ「なにやってんだよおまえは」と私を叱る。眩暈がする。大粒の滴が落ちてくる。早く帰らなければ。でも、どこに?

私があの人と知りあったとき、お互いに幸せとは言いがたい状況だった。

彼は初めて愛した女と別れ、私は迎えに来るといった言葉を信じて片方だけの婚姻届を見つめつつ、ただ時間を咀嚼しているばかりだった。みなければならないものから身体を背けることで、精神の安定を図っているような有り様だった。そんな私を彼はひょいとすくい上げたようなものだ。彼にしてみれば、最初はなんの感情も無かっただろう。ただかわいそうと思ったくらいで。私は、それでもよかった。彼のような人に会ったのは、生まれて初めてだったから。

私は彼を愛したのだろうか。それは違うような気がする。私は彼にすべてを委ねた。彼の中に絶対性を見いだし、そこに依拠した。これを「帰依」とよび宗教という見方をすることも可能だろう。その通りで、彼は私にとって神にも等しい存在だった。神など当の昔に朽ち果てて死に腐れたなどと嘯いていた私だが、彼だけは自分の存在をかけて信じることができた。そしてそれが彼にとってどれだけ負担だったかわからないほど、若くて馬鹿だった。

彼が誰を見ていようと、私はそばにいられるだけでよかった。おのれの神が自分を省みないからといって信仰を捨てられる者がいるのだろうか。そういう意味では私は実に敬虔な信者だった。手負いの獣同士だったが、傷をなめあうことはなかった。彼は私が自力で立ち上がるさまをじっと見ていた。死にたきゃ勝手に死ね、俺に迷惑をかけるなと言い放たれたことで、自分の甘えを自覚することが出来た。彼は法律であり、指針であり、行く先であり、私の背後で支えてくれ、おおよそ考えられる限りの、すべての関係性を担ってくれた。

だが、私は。彼を捨てた。それは廃棄だった。

私は彼から社会常識から女としてのあり方から自分自身のレゾンデートルまで、ありとあらゆることを学んだ。野生児のように、生まれたままでいることをよしとし、教えられることを拒否し続けていた私は、初めて「私」になるための教育を受けたのかもしれない。一人で立ち上がることも容易ではなかったのに、いつの間にか、自分の足で立ち上がり、周囲を見回し、その手でつかめるようにまで、なった。一人で生きていけるのかもしれない、と私はおもった。傲慢にも。

彼は疲れていた。

男にとって骨身にこたえるのは、年齢よりも仕事ではないかと思う。彼の仕事は、技術を向上させればするほど、己の首を絞める様相を呈していた。はたで見ていて、おととしよりも去年、去年よりも今年と下がっていくのがよく分かった。だけど私にナニが出来るだろうか。私は私で、自分の仕事先でパワーハラスメントを受け、毎日三時間しか眠れない日々が続いていたのだった。彼の顔を見るたびに、お互いため息をつくような時間ばかりで。置いてかれてしまった、と私は思った。

彼とはもう一緒に歩けないのだ、と思い込み、ひたすら他の男を捜した。誰を?彼と同じ人を。彼と同じように私を扱う人を。そもそも、そんなものは無理だとわかっていたのに。

見つけたのは結局、彼とは正反対の、私とは性格も違うのにひたすらウマだけはあう男だった。私は靴を履き替えるように、その男に替えた。直接彼に告げられない私は、メールで簡略に書き送った。私の携帯には毎分彼からの電話がきた。家は待ち伏せされ、PCも携帯も彼からのメールでいっぱいになった。家には戻らず友達の家を転々とする日々が続いた。どうして別れたかったんだ?と彼のメールにようやく「先が見えないから」と返信することが出来た。そうか、と彼から返事が来て、それっきりだった。私はあのとき世界を失ったのかもしれない。

出会ってからずっと毎日、彼の夢ばかり見ている。最近、内容が変わってきた。彼が死体となっている夢ばかりみる。彼の死体をどう隠すのかそれを思案する、そんな夢ばかりを。

そして、いま。乗り換えた男とも別れてしまった。私は男を見るたびに、彼の影を求めている。そのことがよくわかった。結局、籠の鳥はどこにもいってはいなかったのだ。私から別れを切り出すたびに、その男ではなく、あの人に別れを切り出しているような、傷つけているのはあの人のような錯覚に襲われる。また同じようなことをしていると思い、あの人にされたことしたことしてもらったことが錯綜し、結句、この体に刻印されるのだ。罪科を背負ったトガビトとして、私が生きている限り、この責めは続くのだと。いまも傷口からは血が噴出し、癒えることは生涯ない。彼への愛情が捨てられない限り。私という人間が彼によって作り上げられた以上、出来るはずもないが。

だからこそ私は、棄てられるほうが棄てるよりも気が楽だ、と言い切る。このような煉獄にとらわれ、後悔と告解との狭間で生きていかざるを得ないのなら、捨てられ女を甘んじて引き受ける。もし神様がたった一つ願いをかなえてくれるとしたら、私は多分「よい文章を書かせてくれ」というのだろうが、でも二つ、かなえてくれるとしたら。「彼と同じ年齢にしてください」というと、思う。それならば、あの時彼が抱え全身からにじみ出ていた疲労も、私の至らなさもお互い理解できただろうし、決定的な行き違いも、起きなかったのではないだろうか。偽善的なのはわかっているし、タダの自己満足であることも重々承知だが、私は(たとえそれが自分の罪責感からくるものだとしても)願わずにはいられない。彼がしあわせでありますようにと。幸せであることを、わたしは祈り続けている。いまこの瞬間においても。みじかい永遠の中で。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。