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「男性差別を撤廃しよう!」 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

某所で男性差別についてちょっと話してて検索したらいろいろ面白いものが見つかる。

男性人権擁護団体
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5799/index.html

「男性人権擁護団体」といっても一人で運営?しているよくあるアレなわけですが。 いろいろと主張が面白い。

男性差別一覧 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5799/sabetuithiran0.html 1・男性センターはどうした!? 各市には、男女共同参画センターか、あるいはそれに準ずる施設があると思われる、 お前らの街はどうかな? 少なくとも県内のどこかには必ずそう言った所があるだろう。 公共の施設なので誰でも入れるはずだ、ちょっと覗いてみようではないか。 おかしな点に気づいただろうか? 女性総合相談室 婦人相談室 女性相談センター 女性支援センター 名前はこんな感じだ。きっと見つかるだろう。 しかし、どこをどう探しても 男性総合相談室 男性相談センター 男性支援センター と言った施設がまるで見当たらない。 これは一体どういうことなのか? 男女共同参画とは 男女が、社会の構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的、及び文化的利益を享受する事ができ、かつ、共に責任を担う事を言う。                              男女共同参画推進条例より抜粋 立派な文言だな… さて、以上をふまえた上で、公共の施設に男性相談室等がないと言うバランスを欠いた状態のどこが 「男女が均等に利益を享受」出来ているのか、センターには小一時間どころじゃなく問いつめたい。 しかし、中に入ってパンフレットを見ると 「男性の相談も受け付けています」と添えてある。 中に入らなければ解らない状態か。それでも男性の相談を受け付けているだけマシなのかも知れない。 しかし、「男性が相談出来ると言っても、自分(男性)がDV加害者になってしまうと言う悩みを相談することしか出来ない」と言う話も聞いているので油断は出来ない。  そうでなくてもこの男女共同参画センター、おかしな点で一杯だ。 まず先ほどのパンフレット。 配偶者暴力防止法には男女の別はない。と明記されているにもかかわらず 「暴力の被害者は圧倒的に女性」だの 「夫、パートナーからの暴力、性犯罪等は女性の人権を侵害する物です」だの(もちろん男女逆にしたバージョンはない) 男女の被害件数。相談件数をグラフで表しておきながら、フキダシで 「女性の6人に1人が身体的暴力を受けている」だの 「女性の約20人に1人が配偶者等からの暴力によって命の危険を感じている」だの これでもかと言わんばかりの印象操作。 男性被害者や相談数が少なければ男性相談所は必要ないか!? と言うよりも、だ。 男性の人権ホットラインや、男性総合相談室。 男性のための相談支援センター そう言った物を全く作らなければ 男性が相談しづらいのだから、結果。 被害や相談の統計の数が少なくなるのは 当たり前だろうが! 自ら門を狭めておいて印象操作をする悪質な公共機関には、 男女共同参画を名乗る資格はない! いや、それどころか、これは男女共同参画推進条例違反ではないのか!? 参考データ 4月1日google検索結果 男性センター 1010件 女性センター 88800件 しかも、女性センターは実際の施設が検索に上るのに対し、男性センターはその施設の要望がほとんどである。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5799/danseisoudanjo01.htm

伝聞だけで話を構成するのはやめましょう、とまずは言いたいけれども、女性センターに限って言えば、男性センターを作らないでもいいから、男性もDV被害を相談できるように、ジェンダー問わずな名称にすべきだとは思う。被害者数を見れば女性DV被害者のほうが多いとはいえ、行政側にも改善の余地があると思う。しかし肯首できるのがここだけっていうのがなんとも。 でまあ、この人更新履歴とか「○月○日」だけなんですよね。なんつーかサイト見てる限り20世紀を越すことはできなかった臭が芳醇なかほりをはなっています。しかし仮にいまもなお生き続けている団体だとしても、オフ会やっても誰も来なかったりきても5人だったりするあたり、まだまだ在特会なみの支持を得るまでにはいたってないみたいですね。

そんでもって、それを引き継ぐ後継者?なのがこっちになるのかな。

反・男性差別軍
http://kira1452.mad.buttobi.net/index.html

しかしどうしてこう「軍」とかやたらマッチョになるんだろうかこの手の人は。 「はじめに」を読むとどういう性質の人かよくわかって興味深い。

 初めに、言っておきますがこのサイトはあくまで男性差別をなくすために作ったのであって女性差別を助長しようとするものではありません。差別は悪でありけして良い事ではありません。  昔は女性差別は確かに多かったような感じがしますが、現在では制度上での女性差別などはまったくありません。むしろ、現在の制度は女性を不当に優遇しているとしか思えないものが多々あります。 女性を不当に優遇するという事は有能な男性の活躍の場を奪うという事につながります。これが続くと日本の社会は無能な女性で溢れ返り、その後始末を有能な男性が行わなくてはいけない状況が生まれ日本の生産性は失われ国際社会に遅れをとるでしょう。  そもそも生産性以前に男女は政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないという事が憲法14条で保障されているのだから不当に女性を優遇するのは違憲以外の何物でもありません。    私はこのサイトを通していかに女性が優遇されていて男性が不当に差別されているかを世間に公表しこれを是正して良い社会作りに貢献したいと考えています。  私の考えに賛同してくれる方は是非メールをください。私とともにこの社会制度を変え失われ行く健全な日本を取り戻しましょう。また、ネット上にはこの手のサイトはたくさんありますが女性の賛同者は少ないのが現状です。やはり、女性の力も必要です。女性の方も私の考えに賛同していただける方はどんどんメールください。 もう一つ、女性の方に言いたいのですが、確かに短期的には男性差別をなくすことは女性に快適な社会でなくなるかもしれません。しかし、長期的には必ず、男女双方の利益に繋がってきます。
このテの主張を読んでいると単に「おれが恵まれないのは女のせい。俺様を優遇する社会をつくれ」といってるようにしか思えない。差別を是正することと優遇することは違うのにね。
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気持ちの悪い時代、二題 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

「公然わいせつ」っていうから例のピーウィ・ハーマンみたいなのを連想しましたよ。てっきり。特に第一報で「下半身を露出した疑い」なんてのを読んでしまうとねえ。読売のその記事は削除されたたのか、もうみられないけど。裸で騒いで陽気でいいねなんて冷やかしはもうとおらない時代になりました。

それはともかく草彅メンバーも六本木で呑んで公園に行って全裸で騒ぐなんてことはせずに、G7にいって世界的会見を開くとかバチカンに無理やり押しかけて警報機を鳴らしたりすれば逮捕されることもなく、「地上デジタル放送普及促進のメーンキャラクター」という名の宣伝マン、つまり小松政夫と組んだわけでもないのに背筋を凍らせるような羞恥プレイなダジャレを言わせるようなこともなく、女性記者の前でパンツ一丁、それ以上は不適切な関係になる可能性がありますから危険ですが、そこまではともかくもオッケーであるとか、トキを焼き鳥にせず剥製にして残せる地位になれたのにね。だから昔からキチガイ水っていうんですよ。ごっくんはしないほうがいい。たしなむ程度にしておきましょう。

とはいえ、今回の警察については理不尽な点が盛りだくさんで別件逮捕・別件捜査のにほひがする。周知のとおり家宅捜索には令状が必要で、「公然わいせつの常習性があるかどうか」なんて理由で裁判官が許可したとかいうんだろうか。だいたい「公然わいせつ」の「常習性」なんてどうやって調べるんだ?AVでもでてきたらいいのか? そもそも今回の事件はいわゆる女性にチンポみせたりする「公然わいせつ」とは違うだろ。勝手に一人で裸になって騒いでいたもので、迷惑防止条例違反とかそういう類のものではないのか。保護よりも逮捕しなおかつ拘留して家宅捜索までするのはどう考えてもおかしいといわざるをえない。おまけにこんな大山鳴動して鼠どころかDVD一枚だってでてこなかった。そして草なぎは笑福亭鶴瓶師匠なみの「武勇伝」にしてしばらくメシウマ入れ食い状態今年の流行語は「裸でなにが悪い」に決定!?にできるところを、タレント生命を大幅に削るような事態に追い込まれた。どっかの大馬鹿大臣には「最低の人間」とまで言われる始末。

【SMAP草なぎ逮捕】鳩山総務相、地デジキャラ逮捕に「最低の人間だ」  

鳩山邦夫総務相は23日昼、地上デジタル放送の普及促進のメーンキャラクターを務めているSMAPの草なぎ剛容疑者が公然わいせつの現行犯で逮捕されたことについて「事実であれば、めちゃくちゃな怒りを感じている。なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と明言。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090423/crm0904231256030-n1.htm
一読した瞬間に「毎日新聞の女性記者の前で服脱いでパンツ一丁になった人間に言われたくないよな」とか「泥酔して世界的な会見をパーにした挙句、大変貴重な(お前の代わりはなんぼでもいるが文化財は失われたらそれっきりである)文化財に素手で触ろうとした元同僚にいえ」だのがもうウンカのごとく浮かんできますが、結局撤回する羽目になってさらに情けない事態に。
【SMAP草なぎ逮捕】鳩山総務相が「最低の人間」発言を撤回

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090424/stt0904241046002-n1.htm
まさに「最低の人間」を自ら証明してくれるとは。体を張って泣いた赤鬼として草彅を守ろうとする姿勢は高く買うよ。 まあしかしこの一連の動き、気持ち悪い。実に気持ち悪い。 そしてそんな「どうでもいいこと」で大騒ぎしているうちにこんな話が持ち上がっていたそうです。
麻生首相 集団的自衛権行使の解釈変更を本格検討へ  

麻生太郎首相は23日、安倍晋三首相(当時)の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈について意見を聞いた。北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090424/plc0904240136001-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090424/plc0904240136001-n2.htm http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090424/plc0904240136001-n3.htm

まあ産経なので本当かどうかアヤシイものですが。

結局あの北朝鮮「ロケット」騒ぎもそれにともなう核武装だのなんだのって話も結局ここにつなげるためだったのねと超得心。というよりもこういう動きにつながらなかったら気持ち悪いですな。 それにしても本当に気持ちの悪い時代になってきたものだ。外国人排斥運動という名のレイシズムやヘイトスピーチ、日教組だのサヨク(笑)だのを「敵」認定して堂々と公で表現するような二項対立構造の演出。のせられて付和雷同する人々。そして集団的自衛権の解釈変更。 戦前だって今から考えればなんども「あのときどうにかしろよ」っていう分岐点があった。西松建設問題と考え合わせるといまが「振り返っての分岐点」にならなければよいがと切に思う。

いやな時代になったもんだとため息ついて酒を飲むことも出来ないな。うっかり泥酔なんかしようものなら、気がつけば逮捕されて家宅捜索されているなんて事態になっていても文句はいえないわけだから。おまけに証拠は見つけるものではなくて作るものという静岡県警伝統精神が津々浦々まで蔓延してようものならアータ、鍋のふたでもあれば「裸踊りイコール露出趣味が常習であった証左」なんつって起訴されかねないです。酔っ払うときは家にあるものは全部処分して臨むぐらいの覚悟がなきゃいけないかもしれませんね。なにせ家にいて酔っ払って裸になっても公然わいせつといわれかねないんですから。(誰も見てなくても公然わいせつという前例ができましたし)勇ましく戦場に向かう自衛隊員の姿が映し出される地デジテレビがぼんやりともるだけの空っぽの部屋なんて、なんとも現代ニッポンにふさわしい未来という気がしませんか?しない?ならもうちょっと風邪薬とお酒を飲んだほうがいいかもね。


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話題の「神舟7号映像捏造疑惑」って懲戒請求騒動のときと同じだね。 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

神舟7号の宇宙遊泳映像が水中特殊撮影された中国当局による捏造映像じゃないか?みたいな日記を書いている人がいて私はまず正気を大変に疑ったのだが、どうやらそれはその人だけではなく、ある種の層には結構ウケている?話らしい。科学ジャーナリストの松浦晋也さんが「そんなもん信じてんじゃねーよ」と書いたら例によって例のごとくそのテの方がわらわらと群がっている様子。私なんててっきり「捏造疑惑!」なんて「ネタ」だと思っていたのだが、目が笑ってないようなコメントばかり書き込まれているのはどうしたものやら。

このっ、バカ共が!
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2008/09/post-af53.html

10月1日正午までに提出された疑問と回答
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2008/10/101-c816.html

10月2日午後2時までに提出された疑問と回答
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2008/10/1022-8a3a.html

やりとりを眺めていてなんか既視感あるなと思いきや、なんかこの、専門的知識が(私のようなまったくの文系素人でもわかるほどの)欠落しているにもかかわらず妙に上から目線であることや、権威主義への批判など、懲戒請求騒動のときに励んでいた方々と似てるような。これは勝手な私見だが、どうも彼らにはインテリへのルサンチマン的なものを感じるんだがなあ。

しかし加えて今回はなんていうか非常にいやなものも感じている。はっきりいえばその性根は卑しかねえか?ってことなんだが。中国が有人宇宙飛行をした船外活動をした→食品偽装なんかしている低レベルの国がありえない→捏造じゃね?という短絡思考。このあたりに中国への差別意識と「日本より下」であってほしいという願望ががありありと伺える。日本の次にノーベル賞(自然科学分野)を多く受賞しているなんてことは知らないんだろうな。

たとえるならば、貧乏と見下げられた人が頑張って「努力」して金持ちになったら、「犯罪でもしたんじゃねえの?」「悪いことして貯めたんだ」と陰口をいわれるような状態なんじゃないかと。うらやましいって感覚があるのかしら。まさかなあ。でもそうとでもとでも解釈しないと有人宇宙飛行ごときに妙な難癖をつけたくなる気持ちが理解できない。で、あるとするならば、個人的には中国の有人宇宙飛行をあれこれ難癖つけて腐すなんざ、お脳が大阪万博から進化してねえんじゃねえかって言いたくなりますな。アポロの月の石、見たかった人なのかそれとも取りに行きたかった人なのか。


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アート舐めんな馬鹿 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

伝説の全身芸術家ダダカンの「芸術活動」のひとつに一万円札燃やして赤瀬川原平らに送った事件がある。

ダダカン師は、やってることは一見、人を驚かせるような行為ですが、金銭欲や出世欲が何一つなく、まったく純粋な、ムイシュキン侯爵のような人なのです。俺の本に登場していただいたときも、印税を含めた一切の金銭の受け取りを拒絶されました。ダダカン師は70年代初め、10万円の不労所得が入ったことがあり、そこで一万円札を半分燃やして複数の友人に送りつけたことがあります。それを聞いた「模型千円札裁判」の赤瀬川原平が「ゾッとした」そうですよ。俺も1万円札を半分燃やして「クイック・ジャパン」に載せたいと思ってましたが、どうしてもその勇気がでませんでした。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_9303.html

ちなみにこれは当時の氏の年収分であったという。私もこの話を聞いたとき「ゾッとした」ものだ。私は自他共に認める無駄遣い馬鹿だが、まったく次元が違うし、その狂気にも似た覚悟にはただただ圧倒させられる。 で、竹熊健太郎氏のブログでこのたび行われたダダカン展の感想とあわせ一万円札事件の話を再度掲載したところ、「真似して自分でも火をつけて焼いてみました」っていう馬鹿があらわれたそうだ。竹熊さんのところに燃やした画像を添付した上でメッセージを送ってきたらしい。もうアホかと。

「僕もお金を燃やしてみました」(1)
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-0e16.html

「僕もお金を燃やしてみました」(2)
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3063.html

竹熊さんは動揺したらしいが、私にはこの行為のドコがそんなに衝撃的なのかさっぱりわからない。単なる猿真似でしょ? 価値があるのはオリジナルだけ。二番煎じは二番煎じで、先人がいるからこそできる。件の御仁も「単独」ならお札を焼こうとは思いつかなかったはず。もし単独で思いつき実行しているのならば「実は以前自分も焼いてました」というメッセージになるわけで、結局真似なんて誰でも出来るんですよ。コンセプトのない真似には意味がない。

やってみたらできました、なんて小学生の夏休み自由研究じゃないんだからさ、もっと覚悟と思想をもてよ。この御仁は無職で金がないらしいが、それにしてもこの楽観具合はなんだ?どうせまたなんかして稼ぐしー的なものすら感じる。やるなら手持ちの全財産をやれ。そんなの無理とかいうのならば最初からやるな。「意味も格も違うことはわかっています。」とかいってるけど、そのあとで『単に小学生みたいな「やってやった」感がほとんどだったのかも、と。』なんてまるっきりアレなことを書いてるし。王様は裸だとやりたかったのかもしれないが、なんのことはない、お前の方が馬鹿で丸裸だったというだけのことだよ。メッセージの内容がどこか得意げなのが腹立たしい。ぐちゃぐちゃと言い訳並べてエクスキューズして逃げ道を作っているところとかさらにさらに腹が立つ。

「やる」ということを思いつく、(思いつくだけではなくそこに「コンセプト」がある)それがオリジナリティだというのです。便器に名前を書いて美術展に出品しようというのと同じ。コンセプチュアルアートを真似して何の意味があるんだ。金が無駄になったとか貨幣価値をなんと心得るということではなくて、純粋にアートを馬鹿にされたような気がしてただただ不快だ。アート舐めんな。


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木村拓哉の悲劇 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

現在、スターシステムが生かされる唯一の人物がキムタクであると思う。スターシステムの場合、単に「その人」を見に行くだけなので、映画の作りについてはあまりうるさいことを言うのは野暮というものだが(ギターを持った渡り鳥をみよ!)、それにしても放映中のドラマ「CHANGE」はあまりにもいい加減すぎないか?脚本のことだけれども。

同じようにド素人が国政の場へ挑戦するというネタではあの「スミス都へ行く」をまず真っ先に連想するが、確かに(あの傑作と比べるのは本当に本当に失礼だと百も承知の上で書くが)夢物語度合いでは似たようなものかもしれない。だが、決定的に違うのが描いている本人が「夢物語を夢物語と自覚した上で、それでもそれを理想と信じ、その理想がいつの日か実現することを願っている、少なくともその良心を信じている」かいないか、だろう。あまりにも「CHANGE」は国会議員というか国政を舐めすぎ。作者本人が信じていないし小馬鹿にしているものをなぜ視聴者が信じられるのだろうか。

こうなってくると悲惨なのが木村拓哉で、この脚本のいい加減さがモロ本人へと還元されてしまう。スターシステムのリスクといえばリスクなんだが、こんな脚本で目玉企画とか言われて責任取れといわれてもなあ。ひたすらキムタクが可哀想だ。
どこかから降りた感がするのでファンの人は嫌だろうが門外漢からすればあれだけ殺陣ができるんだから、時代劇をやればいいのにな、と思う。昔の「腕におぼえあり」みたいな感じでやってほしいものだ。
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死刑執行員制度をつくればいいのに [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

文化放送が5月6日放映した「死刑執行の瞬間」報道スペシャルを視聴した。 

死刑について私は存置派である。一応は。一応は、とつけたのは、冤罪等を考慮すると、簡単に「死刑制度賛成」と諸手を挙げて賛成とはとてもいえないからだ。

人一人殺したのだから即死刑にすればいいのに、という人の話を直接聞いたりネットで見たりするが、そういう人たちにどこか共通すると思われるのは「国の名の下に殺す」死刑制度への参加意識の希薄さである。今回の放送で流された街頭インタビューでも(もちろん編集されそういう発言ばかりピックアップされている可能性のあることは承知の上であえていうが)「死刑賛成」という人に限って「(どんな方法で死刑を執行するか知ってますか?と問われて)電気?ガス?」やら「クスリ?」などと答えていたりする。こういう意見を聞くとどこか「処理」という言葉が浮かんでくる。

死刑制度大賛成!人一人殺したら即死刑にしろ等々とその実態を知る努力もせずに主張される方がいらっしゃるのだから、いっそのこと裁判員制度と同様に死刑執行員制度をつくればいいと思う。3つほど並んだボタンを押すだけだ。そのうちのひとつのボタンだけが床板を外す本当のボタンだ。刑務官は死刑囚を殺す。例え犯罪者であっても人の死である。拘置所の向こう側にある「死」を実感し、自分が死刑執行員になった場合ボタンを押す瞬間に「向こう側」にいる死刑囚の息遣いを感じたら。そこまで考えた上で死刑制度について是非を問うべきだろう。死刑賛成論者はもっと「私たちの名の下で」死刑を実行していることについて強く意識するべきだ。つまり「わたしたちひとりひとり」がいわば殺人者なのである。そのことに対する意識がいささか希薄であるような気がするのは私だけだろうか。

個人的には現在無期懲役が重大犯罪になればなるほど懲役30年以上たたないと仮釈放の可能性が生じない(いまだに殺人罪でも7~8年で仮釈放になるなどといったデマが横行してることも死刑制度積極的賛成論に拍車をかけていると思う)ことも考慮したうえで、仮釈放なしの終身刑が導入されてしかるべきともだんだん考え始めている。


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映画「靖国 YASUKUNI」上映中止反対!みせてくれ! [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

製作者が中国人だから反日的というふざけた思い込みを炸裂させた(百人斬り訴訟・「沖縄ノート」裁判と連戦連敗中の)稲田朋美大センセイが大活躍してくれたおかげでしょうか、及び腰になった映画館による上映中止が相次いでいる模様。
日中合作の記録映画「靖国」、相次ぎ上映中止に http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080331-OYT1T00594.htm?from=top  靖国神社をテーマにした日中合作のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、東京と大阪の映画館5館で上映中止となったと、映画を配給するナインエンタテインメント社が31日発表した。  中止を決めたのは東京都内の銀座シネパトス、渋谷Q―AXシネマ、新宿バルト9、シネマート六本木の4館と大阪府内のシネマート心斎橋。いずれも今月12日から公開を予定していた。「公開によって、近隣の劇場や商業施設などに迷惑が及ぶ可能性がある」(銀座シネパトス)などと理由を説明している。  この映画は文化庁所管の芸術文化振興基金750万円の助成を受けており、「政治的な宣伝意図があるのではないか」などとして、国会議員から問題視する声もあった。議員の要請もあって配給会社は3月12日、都内で試写会を開き、議員約40人が参加。議員と文化庁関係者らの意見交換会が開かれ、参院文教科学委員会でも質疑が行われた。19日に新宿バルト9が公開中止を決定。その後、他の映画館や配給会社に上映中止を求める電話などがあったという。  この作品は、日本に住む中国人の李纓(りいん)監督が、靖国神社を訪れる参拝者や遺族の姿などを記録した日中合作映画。昨年の釜山国際映画祭など海外の映画祭でも上映され、今年3月の香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。  配給会社では「国際的な評価も高い作品が、こうした事態に陥ったのは大変遺憾。日本社会における言論の自由、表現の自由への危機を感じる」とコメントを発表。文化庁芸術文化課では「一般論として、芸術文化の発展の機会が外部からの嫌がらせで妨げられてはならない」と話している。  最初に助成を問題視し、試写会に参加した自民党の稲田朋美・衆議院議員は「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」との談話を出した。 (2008年3月31日21時44分 読売新聞)
なにこれ?
最初に助成を問題視し、試写会に参加した自民党の稲田朋美・衆議院議員は「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」との談話を出した。
この間のDV防止法講演を潰した西村修平氏もそうだけど、目論見どおりになった途端に「いやそこまで求めていないよ」的なことをいうのなら、はなっから余計な口出しするんじゃねえよっていいたい。ミンシューを愚弄するのもタイガイにしてください。あんたらの政治宣伝のためにいくつの訴訟を起こし、また講演会・映画上映潰し等を行えば気が済むのかね? で、案の定産経新聞によると上記の「圧力」だけではなく、一部政治団体による上映中止の働きかけもあったようですな。
東京での「靖国」上映中止に 「近隣に迷惑の恐れ」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080331/crm0803311845029-n1.htm  靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」について、東京都内の映画館3館と大阪市内の1館が、4月12日に予定していた上映を取りやめたことが分かった。これで東京での上映予定はすべて中止となった。  上映を中止した銀座シネパトス(東京都中央区)を運営するヒューマックスシネマは「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがあるため」と説明している。ほかに取りやめた映画館は、シネマート六本木(東京都港区)、Q-AXシネマ(同渋谷区)、シネマート心斎橋(大阪市中央区)。  同映画をめぐっては、自民党の一部議員が、文化庁の所管法人から助成金が出ていることを理由に「政治的に中立かどうか疑問がある」として、事前の試写会を要求。全国会議員向けの異例の試写会が開かれた。関係者によると、その後一部の政治団体が上映中止を働き掛ける動きを見せていたという。
近隣に迷惑って…。そりゃ某団体のように朝日新聞へ突撃して警備員にとっ捕まってすっ転ばされたりだの、拡声器もってワーワー騒げば迷惑ですわな。でもそういう団体へ火に油を注ぐようなまねをした稲田代議士は毎度毎度のこととはいえ、本当に余計なことしかしない。どうせろくすっぽ見てないんだろうし。悔しかったら「南京の真実」を一般ロードショー公開して見やがれってんだ。見る自由、見る権利を奪えるアンタは何様なんだといいたい。 稲田朋美代議士みたいなどうせ見ても価値のわからん人間に見せるのならば俺に見せろ。国会議員だけ見てイッパンタイシューが見られないのは激しく不平等ではないか。靖国神社も遊就館で「南京の真実」を公開するのなら、いっそのこと「靖国」を併映して、度量の大きさ器の深さを見せやがれってんだ。右翼も右翼でせせこましく上映中止を働きかける「動き」なんぞをみせるんじゃなくて“この映画がすべてではありません。本当の「靖国神社」を見たければ価値を知りたければ是非きてください”ぐらいのことを言ってみせろ。この「靖国」を利用して英霊への理解を深めるきっかけに使う…なんて気の利いた大きな愛国心なんて到底持ち得ないんだろうけどね。(ひょっとしたらチョー恥ずかしがり屋さん☆ゆえ軍服コスプレがみられたくないってだけかもしれない) まったくこのまま上映されないままお蔵入りなんて激しく残念だ。とにかく見る権利を奪うな。私に見せてくれ。私がいつも8月15日にみているあの「靖国」の光景が、どのように他者にうつっているかを。
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溝口「雨月物語」の向こうに見えるラサ暴動(まとめきれないけど) [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

溝口健二特集をいま早稲田松竹でやっている。早速見に行く。

この日のプログラム「雨月物語」はまだ見たことなかった。結果はやはりすばらしいのひとこと。たぶん後日もっと長いレビューを書くと思うけど、なんていうか、こういう映画があるんだから「デビルマン」があるのもバランスをとるためにはしょうがないのかもしれない、紀里谷みたいな糞監督がいたって、昔日本には溝口健二がいたんだからいいじゃないかと意味不明な納得すらできそうな傑作だった。(どうでもいいけどここ最近小沢栄太郎の顔ばかり見ている気がする)

この映画は戦乱の世に蹂躙される市井の人々が主役である。だが、だからといってあからさまな反戦映画ではない。身の丈にあった幸せを願う心を戦争とそれに伴う動乱好景気が容赦なく踏みにじっていく。国家という大きな枠組みの中では庶民なんてどうなろうとまったく意に介されない。だが、生きていくしかない。その物悲しさを思う。

ラサ暴動についてはとてもつよい憤りを抱いている。余談だが、昔の知り合いにダライラマの愛人(全盲のドイツ人)を世話していたという人がいた。そんなわけのわからない経緯でも、私にとってその思い出ひとつとっても妙にチベットという国に対する親近感が沸いてくる。ちなみにその知り合いはご主人が共産党員だった。私は彼らがどんなに熱心にチベット独立運動を支援していたか知っているので、サヨクはチベット問題について何も言わないというウヨクの捨て台詞を目にするたびに正直違和感をぬぐえない。

以前参加したポール・ルセサバギナさんの講演で、ダルフールに代表される世界で「いま」起きている虐殺をとめるには、まず、あなたが隣人に対する偏見を取り除くことから始まるのです、と語られていたことを思い出す。チベットで起きていることをとめるにはまず自分の中の「イントレランス」を見出すことから始めないと何もならない気がする。チベットでもダルフールでもガザ地区でも「いまここ」で悲しい事態が進んでいる。それをとめるには、まずは「不寛容」から脱却することが先決であり、国際社会を動かすには、そういった地道な努力の結果であることを思い知らされる。


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犯罪被害者家族へのケアや報復権について考える [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

気持ちが悪すぎて眠れないためつらつら書く。

今回の光市事件を調べていくうち、遺族と司法といったことについて段々と思いを巡らせていくようになっていった。

私自身についていえば、加害者になったことも、被害者になったことも、幸いにしてない。だが、実は、身内からは犯罪被害者も加害者もだしている。

その一件はある遠い親戚(遠いといっても交流がないという意味合いにおいてなのだが)の家族間で起きた事件だった。精神を病んだ息子が父親を殺害したのだ。そういうわけで、私は犯罪被害者遺族でもあり、加害者家族でもあるという、語弊を恐れずに言えば「奇妙」な立場にあるといえる。

私自身の実感をいえば、先ほど述べたように遠い親戚の出来事という程度しか捉えようがなかった。あまり交流はないし、会った事も数えるほどしかないし。ただ全く何もなかったという「幸運」な方に比べれば、考える機会は多少なりともあったとはいえるかもしれない。

そしてそういう「立場」に加え、こんなサイトも読み、またさらに考えることとなった。

犯罪被害者の会幹事を辞任しました。
http://www.aya.or.jp/~r777/shibuya/TS1229.htm

上記サイトの方がおっしゃるように、「復讐権」を認めてしまうことには、私も抵抗がある。呉智英がいうように「あだ討ち権」を認めてしまうと、江戸時代のように報復行動に出ない遺族を白眼視するような(被害者のことを大切に思ってなかったのか等々そこから発展して往々にして酷いうわさがたつものである)ことにはならないだろうか。

こういう風に考えるきっかけになったのは、宅間守の判決言い渡し後の暴言と最期を知ってからかもしれない。

事件は何の罪もない子供たちが、自殺願望の男に「破壊」されるという許しがたいものだ。宅間は法廷で暴言を連発し、最後の最後でもそれは変わらなかった。そして何の反省もしないまま死刑にされた。それでは子供たちが浮かばれないように思えた。死刑にする前にせめておのが罪を悔恨させ、遺族へわびながら死んでいってほしかった。ただやつらを高く吊るしただけでは、宅間のような人間の場合、単に望みをかなえてやっただけではないか。自分のやったことを徹底的に反省させ、悔い、死の運命に怯えながら執行するという形が私には望ましいのだが、そういう「教育」は日本の刑務所へは期待できないのかもしれない。

犯罪者は殺せば、そいつはそれでおしまいだ。当然だが。しかし、遺族の苦しみは、犯罪被害者の苦しみはその後も生きる限り続く。私には「復讐権」よりも、もう少し遺族の苦しみへのケアといった「きめ細かく暖かい」行政側のフォローがあってもよいと思うのだが。

犯罪被害者やその家族、遺族の苦しみ、悲しみをどのように昇華させていけばよいのか、それは簡単に答えが出る問題ではない。精神的、制度的フォローがもう少し充実してもいいように思うのだが、私には政府が厳罰化の一点で突破していくように見える。昨今の厳罰化の流れには「犯罪者を殺せばいいだろ」的な思惑もなんとなく透けて見えるように思えて好ましくない。被害者、被害者家族の慰撫=犯罪者への厳罰化では本来的に妥当ではないように思え、問題が摩り替わっているようにも感ずるのは私だけだろうか。「声が大きいヤツが正義」という事態だけは避けたいものだ。どんな場合にも当てはまる話だけれど。


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知りたがるヒトビトなんて知りたくないの [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

でもってこのような腐れ日記を生暖かい視線も省みずせっせせっせと猿のナニ以下のスピードで日々書き連ねるハッパフミフミな俺ちゃんですが、まーなんだ、ヨボヨボのGーさんなもんで、小さい頃から「人にものを尋ねるときは態度ってもんがある」なんつってキビチク仕込まれたもんです。学校だってアレですよ、なかには聞き方が悪いと教えてもらえなかったりして。今じゃモンスターペアレンツがそんなときは怒鳴り込んで一点突破の全面展開を図ってくれるそうですが、いや悪い時代に生まれたもんだな。いまどきの若い人はいいねえなんっつって文章を〆てもジジイの懐古話なんて鼻毛以下の価値なんでも少し違う話になるからもうちょっと待っててねハニー。

最近いろいろとwebをずらずら見ていけば、どうやら当方すでに完全なる化石のようだ。質問するときの態度、教えをこう姿勢なんてものはもはや死語に近いらしい。聴いて当然、そりゃこっちは聴かれて当然だからして、10のうち9ぐらい教えておく。そのうちの1については調べるべきだし、そういう時はたいてい仔細に触れるほど時間をかけるようなテーゼでもなかったりするもんだ。基礎中の基礎の場合は特にそういう対応をする。それ以外は議論になりますもんな。まずはそれを調べてから言え、話はそれからだ。

ところが、そういう風に教えると、今度はそのあまった1に対してなんともあくロバティックな論理を開陳してくれる。酷いときは調べりゃいいのに、そのアクロバティックな超絶論理をもとにさらに質問してきたりする。こちとら馬鹿正直なもんで、そうなったとしても大概(そいつが頭に蛆がわいていると思わん限りは)その1はこういうことですよ、と教える。そこで引き下がってくれればいいが、そんな素直で性根がまっすぐな青竹のように清清しい人は鼻からそんな超絶論理を持ち出したりはしないので、その1からさらに全体である10を、これまたコペルニクス的転回に基づいた独自理論で解釈した上で、違うじゃないですか!?と激高したり、さらには前といったことと違うと責められたりする。あるいは「読みづらい」だの「わかりづらい」だの。てめえの思考力ががまるで世の中の礎となっているみたいな物腰だ。俺っちなんざ気が弱いから、そんな態度にでた日には、心臓の方が先に根をあげちまいますな。いや赤玉がでるだけかもしんないけど。

そういやネットをふらふらみていたら、上記のような粘り強い物腰で何度何度答えても不屈の闘志で蘇るまるでじょーじ・A・ロメロの例のアレみたいな方がいました。その方がついに「高みからものを言うような姿勢で」なんていったら、臨時教授はついに「だったら自分がその高みにまであがれ」とブチ切れですよ。そりゃそうだと膝をうったのはナイショにしてくださいませ。閑話休題。

しかしそれすべてゆとり教育のせいだなんて大仰に構えるつもりは毛頭ない。ていうかまだ20代前ぐらいならぎりぎりありえるかもしれないがそれ以上ってなると…ゆとりのせいにしたほうがましかも。えーその、そもそも当方は開成かラ・サールから栄光の東京大学、輝ける京都大学の法学部を卒業し、あまつさえ現役のうちに国家公務員Ⅰ種試験ならびに司法試験に合格したわけではない。また、コリン・ウィルソンか(同じ本ばっかりだしてるけど)筒井康隆か(日本以外は全部沈没するけれど)小松左京か(イルカが死んで即興歌を作ったりしたけれど)はたまた南方熊楠(そういや町田康主演で作ってた映画はどうなった?)みたいな博覧強記でもないわけです。つーかそんな人間を期待しているわけでもなかろうが、とにかく期待されても困るのだ。

まあなんですな、こんなイカレポンチの下種でマトモな神経をしているとは到底思えぬ腐れ外道なンすから、そんなのにあれこれ万物の仕組みについて尋ねる前に、googleで文字入力して検索すれば即座に情報がわんさとわんさとでてきますよ。そのほうが自分の勉強になるし、なにより俺っちは学校で「人に聞く前に自分で調べたほうが身につくし覚える」ってなことを教わった。先人の教えは大切です。侮るべからずだ兄弟姉妹、若人やそうでないヤツも。そういうわけで、執念だけは人一倍だが物覚えについては反比例しちゃうひとはさ、騙されたと思って一度実行してみるといいと思うな聞く前に


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