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崇高は美に勝り、なんて。 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

こんな記事を読んだ。
美人なのに恋愛対象外!の理由とは?
http://allabout.co.jp/gs/loveaffair/closeup/CU20081029A/

で、つらつら考えたことを。

あのツルゲーネフが一生をささげた(といってもいい)女性、またツルゲーネフだけではなく、ショパンやらベルリオーズやらさまざまな芸術家のエゲリヤとなった女性、ポーリーヌ・ヴィアルドは岸田今日子は美人なんだなと思えるほどの容姿をもったオペラ歌手だ。だが「衝撃的なまでに醜い」といわれた彼女は前述したようにさまざまな男性をとりこにした。それはなぜか。

また日本にも岡本かの子なんて人がいる。彼女は不器量かつ巨漢で、谷崎潤一郎から悪趣味の塊などと忌み嫌われていたりした。だが、彼女は自分の愛人と夫を同居させ(夫妾同居?)他にも崇拝者がいて(彼は岡本家の家事一切を取り仕切っていた)そして彼らと欧州旅行に旅立ったりしている。また彼女の小説の下地作りなんかもしていたようだ。なにが彼らをそこまで駆り立てたのか。

綺麗で頭がよくて機知にとんだ会話が出来て…なんて人がいればそれはそういう人が一番いいのだろうが、「ワンアンドオンリー」の魅力をたたえた人がいて、そしてそこに惹かれてしまえば、美醜は関係なくなってしまうのではないだろうか。あまりにもワンアンドオンリーならば。前述の二人はそういう意味では(歴史に残るほど)「たったひとりのひと」である。そんな「崇高」な人の前では、美だの醜だのってのはあまりにも瑣末な問題なのかもしれない。「美」はいつか変化して「劣化」していく。それは加齢だったり価値観だったりするが。だが「崇高」はゆるぎない。圧倒的な才能といったものは時間がたってより熟成されていくこともあるし。

と、いうわけで、「美」よりも「崇高」のほうが経年劣化しづらい、と私は思う。整形して美人になるくらいなら、ワンアンドオンリーを目指せ。それが女子の心意気ってもんだろ。


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