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「嬉しくない味方」(伊勢崎のジャンヌダークは今日も無意味にお元気ですね) [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

助け舟がある、というのは有り難いものだ。

先日友人の誕生日にシーサーをあげようと思ったが。義務教育で美術の修練を終えた私にとって、それは思いついたはいいが実行となると果てなき難事業である。たまたま彼が美術系大学を卒業し、粘土造形好きだったおかげで、ほぼ思い通りの作品に仕上げることができた。

また左記のように直裁ではなくてもミッチェルのように、ある政治的な事柄に対して私が書く時に、専門職ならではの重要な示唆をくれる人もいる。そのため、賛否双方の論を考察することができ、私なりに深めた(または香ばしく醗酵させた、ともいう)論を展開することができたりする。

このように助け舟、または味方というのはたいていの場合有難く、嬉しいものである。私と同じような政治的立場の人から自分の論拠になるような資料を教えてもらったときもしみじみとした有難味を感じる。

だが、悲しいことに嬉しくない味方というのも存在してしまうのがまた人間社会というものだろう。そしてそういう「嬉しくない味方」に限って、悪目立ちするのだからたまらない。

さて若干話がそれるようだが、私は個人的には「南京“大虐殺”はなかった」という立場をとっている。なかった、というか、おそらくは市街戦より若干多い数字ではないか、と思っている。(秦郁彦氏と非常に近い立場といえる)犠牲者が出ているので、冷徹に話しすぎると人間性の問題とも思えてくるが、『「大虐殺」というには言葉が過ぎる、市街戦に市民が巻き込まれてしまった』といったおそらくはこのあたりが「妥当」ではないかと考えている。(大虐殺というのなら、まさに広島長崎がそれに該当する。当時の市民数から考えても現在中共が提示している数字はありえないだろう)上記のような立場をとり、また、従軍慰安婦についても「現在積極的な政府関与が認められる資料が見つからないのだから」政府による強制はなかった、という意見であると、右より称されることが往々にしてある。以前は、この手の意見は少数派であるが、小林よしのりの活躍やらネット普及もあって、特に珍しくもなくなってきたようだ。ネットを見ていても、ああなるほどとこちらの参考になるような意見を読むことも多い。ネットウヨクなんていう蔑称もあるようだが、十把ひとがらげに扱ってほしくないと常々思っている。「嬉しくない味方」が槍玉に挙げられ、「だから右は馬鹿ばっかりだ」と嘲笑されるのをみると、ひたすらむなしい。「嬉しくない味方」に向かって「お前は黙ってろ」と言いたくなることも多々ある。

でもって、「嬉しくない味方」は誰よ?って話なのですが、例えば八木ヒデジ(秀次ともいう)のような自称学者であったり、伊勢崎のドンキホーテ(あれ?)こと某女性市議会議員だったりする。それにしても意気軒昂だな伊勢崎の自称ドンキ、もといジャンヌダルクは。

「真っ赤な嘘」
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/50991771.html

こちらのエントリーで上記記事を知ったのだが、前回もさんざん叩かれたのに(詳細はリンク先参照のこと)、いやあ懲りてないというかなんというか。そんな事誰も言ってねえよという論拠をでっち上げて、それが否定されたからと怪気炎をあげている。このひとといい八木デムパといい、この手の論述が大好きだな。アレな人はアレな人なりにおとなしく黙っていればいいものを、デンパ受信八木といい、伊勢崎のドンキホーテといい、脳のオデキと反比例するかのように自己顕示欲だけは旺盛だから困ったものだ。ひっこんどけ、なんて言論の自由を阻害するようなことはいえないし。

とまれ左翼や一般大衆の皆さん、だから右翼はダメだなどとお願いですから言わないでください。特に伊勢崎のドンキホーテは、話のマクラに天気の話しかもちだせないようなレベルなんですから。そのあたりの事情をおして生暖かく見守ってください。ヲチるには最高の物件なのですから。


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南郷力丸

 ジャンヌダルクが知られたのは映画によってです。しかし、その映画はリュックベッソンによって捏造されたもので、ジャンヌダルクも俳優が演じていたことが明らかになりました。ジャンヌダルクが捏造だったということは、伊勢崎のジャンヌダルクも捏造です。伊藤純子はなかったのです。。。。ということにしては?
by 南郷力丸 (2007-05-18 00:28) 

南郷力丸

 しつこいようですが「デンパ受信八木」は偉い研究者です。日本軍が夜戦に備え視力がよくなるという「ヤツメウナギ」を一生懸命食ってる時に、アメリカ軍は「デンパ受信八木」さんの発明品の実用化をすすめたという人です。
 たぶん、嬉しくないのは「デンパ発信八木」の方かと。
by 南郷力丸 (2007-05-18 01:31) 

安倍晋三側近

仮定の話を考えてみました。北朝鮮が、拉致に関してこう言い始めたとします。

北朝鮮「日本が拉致されたと言っている人たちは、本人の希望で北朝鮮に来たのです。ですから、拉致ではありません。本人に何か事情があったのでしょう」
日本「そんなことはない。強制的に北朝鮮に連れていかれたのだ」
北朝鮮「では、北朝鮮政府が拉致をしたという証拠を出しなさい。命令書でも提示してみなさい」

とんでもない発言です。絶対にそんなことは、認められません。拉致被害者の方々は、強制的に北朝鮮に連れて行かれたのです。日本側からは状況は説明できても、拉致命令書などの証拠を提示出来るはずありません。

==>これと同じことを、どこかで聞きました。従軍慰安婦問題です。

本当の歴史を決して認めようとしない方々は、こう言っています。「では日本軍による命令書や資料、証拠を出しなさい。無いでしょ? ですから、従軍慰安婦なんて存在していないのです。単なる売春組織があり、売春婦がいただけです。本人たちが希望して慰安婦になっただけなのです」

これって同じレベルの主張だと思います。状況的には、真っ黒。しかし、軍の命令があっただの無かっただの、証拠が無いだの・・・。だから、従軍慰安婦は存在しなかっただのと・・・。
犯罪行為をしている側は、自分の犯罪行為を証明するような証拠を絶対に出しません。北朝鮮だって、いろいろな状況から自分で拉致を認めたのであって、日本側が北朝鮮内部のの命令書を提示したから北朝鮮が認めたわけではないのです。

歴史を考える場合、厳しく証拠を要求すれば大抵の事はないことになってしまいます。その当時の時代背景と状況を考えていくことによって、多くの事実は自然に浮かび上がってくるのです。


軍の関与の証拠だの、民間人がやっていたことだの、そんなのは、言い逃れに過ぎません。
日本に軍隊があった時代に、中国に出兵していた日本軍の駐屯地内に慰安婦が存在していたことは、まぎれもない事実なのです。それを日本人が侵した過去の犯罪として謝罪することが、なぜ出来ないのか? こんな簡単な、過去の事実の反省も出来ない今の日本政府には、戦後レジームなどと言って過去に責任を押しつけて憲法改正を論じることは許されないと思います。
by 安倍晋三側近 (2007-05-18 15:23) 

うちゃ

はじめまして。
本題とは微妙にずれますが。
>『「大虐殺」というには言葉が過ぎる、市街戦に市民が巻き込まれてしまった』
すくなくとも、秦氏はこのような主張はしていません。実際の犠牲者数はどうあれ、「戦闘によらない不当な大量殺害があった」という点については異論はないはずです。(市街戦と呼べるものではなかったはずです)
秦説に言及するなら、こちらを一読いただきたいかと思います。
http://www.amazon.co.jp/南京事件―「虐殺」の構造-秦-郁彦/dp/4121007956
by うちゃ (2007-05-20 17:25) 

瑠璃子

うちゃさん
はじめまして。
私の書き方が悪かったようですが、市街戦云々は「私」が思っているだけであり、秦氏がそうだというわけでは当然ありません。また秦氏とは犠牲者数の部分で「非常に近い」という意味です。
by 瑠璃子 (2007-05-20 19:01) 

あとろぽす

1937年の南京では市街戦は起きていません。
私も市民の組織的な虐殺は無かったと思いますが
虐殺はありました。
殺された大部分は、投降兵の処刑です。
by あとろぽす (2007-06-22 10:21) 

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