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理不尽の意味を知ったのは小学3年生だった。 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

あのころ。

小学校4年の始業式を迎えた私は、その長さに絶望していた。まだ小学生時代は続くのかと。その途方もない長さは私を打ち砕くのに十分だった。小学校時代クラス替えは2年に一度だった。教室内の異分子として過ごす2年間は、私から感情を剥ぎ取るにあまりある時間だった。なぜ異分子だったのか、私にはわからない。教師がそう決めたから。なんであれ私はアノマリーだった。それは削除される運命にある。
削除される代わりに、私は教師から激しく叩かれた。隣の席のえりかちゃんは忘れものしても「あら、仕方ないわね」と甘く笑ってそれでおしまい。私は殴打され、ノート一冊書きつぶすほど「ごめんなさい」と綴り続けなければならなかった。理不尽だな、と私は思った。小学校3年生にして、その言葉は私にとってほとんど信仰に誓い意味合いを伴っていた。神への誓約のように、懺悔のように私は一日に幾度となく繰り返した。なにか効力があったわけではないのだが。
40代半ばのその女教師ーワタナベに、私は一度尋ねたことがある。どうして、私は叩かれるんですか? そういう質問をするからだ、と強力な憎しみの視線で私を射りながら、女教師は答えた。
「かわいくないから」
子供も本能で悟る。教師に嫌われている子と仲良くすればどうなるか。私が忘れ物をすると、ほかの忘れ物をした子とともに壇上へあがらせた。ワタナベはみせしめのように、私を仮借なく平手打ちすると、ほかの子には、それがたとえ男子であろうと、頭をなでて「もうしちゃだめよ」と笑顔すら見せた。その違いは、わずか10になるかならないかとはいえ、正確な学習効果をあげる。私の周りに来る子など、誰もいなかった。このことはだいぶ後になっても私にのしかかってきた。-中学時代、私は当時のクラスメートと再び同じクラスになり、とても仲よくなったことがある。あのころの話を言おうか言うまいかだいぶ悩んだけれど、思い切って切りだしてみた。恐る恐る。あの時のこと、覚えている?彼女は言った。なにいってるのよ、違うクラスだったじゃん。私は記憶にとどめておく価値すらない子だったようだ。そうだよねえ、と調子を合わせて私は小さく笑うしかなかった。
通常の授業ならまだよかった。傷口にタバスコと塩を塗り込まれるのは、遠足、課外授業、などの行事ごとだった。ワタナベは決まって「好きな人同士で班を作りなさい」と告げた。私は半笑いを浮かべてずっと立ち尽くすだけだった。すでに班でなにをやるかを決めているのに、私はそのまま放置されていた。やがてワタナベはうれしそうに私の側へやってくる。「まーた、一人なの?自分でちゃんとやりなさいよ…えーっと、この人を受け入れてくれる班はありますかぁー」楽しげなざわめきが一瞬で止み、顔を見合わせるような沈黙に覆われる。私は顔を上げることができなかった。ワタナベは失礼じゃないか、と私をしかった。
誰かがいつも受け入れてくれた。私は邪魔にならないように足を引っ張らないように、それだけに集中していた。行事の内容なぞ全く覚えていない。残るのは、いたたまれないということは体に刻まれる痛みなんだという事実だけだ。
きっと私が悪いのだろう、と考えていた。私の何かが悪いのだろうと。だから昼休み、隣のタカハシくんが私をひどく罵ったことに耐えきれず取っ組み合いの喧嘩をしても、私だけワタナベから怒られ、教室の隅でずっと立たされていたのだろう。私のいないクラスはひどく快活そうだった。わたしだけが悪いのだ私だけが。
ふしぎとほかの子からいじめられなかった。私は存在してなかったからだ。いない人間をどうしていじめられるのだろう。静かに目線を外す、それだけで十分ではないか。家族の中でも私は放置されていた。大人たちは私の背丈よりも大きな問題にかかりきりだった。私はただ「いる」だけだった。教室でも家でも。
小学3年・4年の二年間、私はしょっちゅう熱を出して寝込んだ。医者は風邪でもなんともない、と診断し両親を困らせた。親は熱で苦しむ私を、この子はそういう体だから、と考えて納得させていたようだった。熱で浮遊したようなおぼつかなさの中、このまま死ねばいい、とは思わなかった。自分の力の及ばない、問答無用な理不尽に晒され続けると、死ということすら考えられなくなる。私はただ阿呆のようにやり過ごそうとした。なにも考えずになんの感情も抱かずに。
あのころ、唯一の楽しみは読書だった。読書は私を“世界”へ導いてくれる。“世界”と和解する方法はわからなかったけれど、私のいる“世界”より外の、茫洋とした広さに触れると、いつかはそこへいけるものと無条件で信じられた。その無闇な期待だけで私は生きて、いた。
あのころの最も辛い思い出の一つに移動教室がある。区の施設に行き何泊かするアレである。就寝時、真ん中あたりで寝るはずだった私は、なぜか押し入れわきで眠らされた。私はそこにいない誰かと夜中ずっと話していた。早く帰りたいな、と私は言った。誰かは、きっと帰れるよ、と言ってくれた。神様は理不尽だけどたまにはいいこともしてくれるよね、と私は願った。そう。たまにはいいことをしてくれる。私はまた熱を出した。移動教室が終わるまで、保健室で眠ることができた。誰もいない保健室の、古びた畳のにおいを嗅いで、わたしは初めて感情をあらわにすることができた。ひたすら泣いて思った。友達とおかしいことで笑って、先生から褒められて、みんながやっているあの面白そうなヤツに、私も加えて欲しい。でもそんな贅沢なことより、いちばんは誰かと話したい。昨日見た光GENJIのローラースケートがすごく欲しいけどきっと滑れないだろうとかそんな話を。私はきっと好きになりたかったのだ。みんなを。先生を。世界を。そして、自分を。

 

眠れない。仕事が山場を迎えて疲労がピークだからだろうか。こんな夜はあのころのことを必ず思い出してしまう。思い出せば辛くなることがわかりきっているのに。そうしてまた泣いて。呻きながら嗚咽し、泣いて泣いて泣いて。でも吐きだすだけ吐きだせばまた明日は、洗って磨きあげたような新しさで朝を迎えることができるだろう。止まらない涙も明日の朝には僅かに跡を残すだけ。
明日はきっと、いい日。


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パソ熱のEディ

熟読を、させていただきましたので、一言ですが足跡を残します。
by パソ熱のEディ (2005-03-11 02:40) 

アサタロ

これまでも瑠璃子さんの blogは読ませて頂いてたのですが、コメントは初めてです。
ハジメマシテ。。
オレの小学時代は頭をなでて貰った方なので、瑠璃子サンの痛みは判りかねます。
残念ですが・・・。
でも..眠れない..山場..疲労..ピーク....。この大変さは少しワカリマス。
ただガンバレとは言えないですね。
ただ、明日になり「殴り書きブログ」に戻れるように祈ってます。
(殴り書き→失礼!)
 
では明日また読みにきます!!!!
ではでは。。
 
 
by アサタロ (2005-03-11 04:03) 

アキオ

小学校の頃、一年の半年くらいで教師に「強烈に嫌われた」事があります。
意味なく叩かれてた、、、
それを知った両親は「学校に乗り込み、教師に頭を下げさせて、転校させろ」とせまり、転校しました。。
オイラは、もしかしたら幸せ者だったのかな、と思います
(放浪癖があって、意味無く学校を抜け出してた子供だったようです)
いろんな過去がありますね、、つらい過去の人は、多分未来は明るいと良いな、とおもい
子供の頃、ノー天気に過ごしてた奴は、苦労しやがれ、と思うんです(^-^;
by アキオ (2005-03-11 09:49) 

まみょん

はじめまして 
小学校の6年生の2学期で 転校しなくてはならず 東京から 茨城へ行ったときは クラスにも 先生にも 嫌われてました
自分がだんだん 透明人間みたいに思えて いつも
近所の鉄塔ばかりが立ち並ぶ 芝生の真ん中で 
歌をうたって一日を過ごしていました
親は 気がついてくれませんでしたね まったく
今でも 泣き虫な私は 当時から泣く事で 自分の気持ちをリセットして
なんとか生きてきた感じです
私も 今夜は週末だし 泣いてしまおう リセットしてしまおうと思います
by まみょん (2005-03-11 10:03) 

phantom

子供の頃から学校は嫌いだったな。
人々が嫌いではなく、窮屈な規則(今思えば非常に自由)退屈な勉強、なぜ学校に行っていたのか?
いじめ
のんびりした田舎の小、中学校は一貫教育みたいに他の地区の子はいません。私は「よその土地から来た子というポジション」を9年間味わいましたよ。しかし、何とも思わなかった。いじめっ子だからね。また「よその土地から来た子というポジション」の子同士数人集まっていたしね。
相当嫌われていたかも知れません。
今ごろ反省しても遅いですが。
時として寂しい思いもしてましたが(お祭りの時の子供会など)マセガキの私は、ガキの遊びにつき合えるかなどと言った記憶があります。
はずかしい日々の、思い出です。
by phantom (2005-03-11 10:22) 

mst-kiz

教師による私個人への理不尽な扱いは中学3年の時に体験しましたが、あの頃は反発心も強かったので、てやんでーべらんめーで、できるだけ気にせず跳ね除けていました。
小学生くらいの子供にとっての「先生」という存在は、親以上に絶対的な存在です。その先生が、己の立場を忘れてしまっていてはお話になりませんね。
先生といえども一人の人間。感情の起伏、物事に対する好き嫌いがあって当然というのはわかりますが、少なくとも学校内では滅私奉公に徹してこそ「先生」だと思っています。
#かといって、外で酔っ払って「ポン引き女かと思った」などといってその辺の女性に抱きついていいものではりません。
子を持つ親となった今。いじめについては、暴力悪戯などの有形、無視などの無形を問わず、昨今のニュースを見聞きするに付けいろいろと考えさせられるものがあります。
by mst-kiz (2005-03-11 10:56) 

ゆっこ

留璃子さんのような悲惨な経験はないのだけど、
でも、やはり、小学3年が終わる頃に、
『ああ、中学ならもう終わりなのか。
 小学校はまだ半分しか終わっていない。』と思いました。

5年以降はもう少しましな環境になれたのか、
気になってしまいました。

今の息子の小学校は、そういう点を考慮してか、
毎年クラスが変わり、担任も持ち上がらず、
全く変わるシステムになっています。
by ゆっこ (2005-03-11 10:56) 

夢追い人

はじめまして、興味深く読ませていただきました。
僕の場合は、教師に好かれる側だったのですが
割りと誰とでも仲良くなってしまうタイプでした。
小学校の3年生か4年生の頃に、
当時クラスの問題児と言われていた子と仲良くなり
放課後、約束をして遊んだ事が有りました。
そして数日後、僕は担任の教師に呼ばれて
「あなたは、あんな子と遊ぶような子ではない、気を付けなさい。」
と、注意を受けたのです...。 混乱しました。
10歳前後の子供には、とうてい理解し難く
“大人が言うことはよくわからない???”、
“普通に子供らしい遊びをしているだけなのに、なぜ?”
と憤りを感じざるを得ませんでした。
結局、子供だった僕が、そんな大人の言葉に抗う事も出来るわけ無く
次第に友達との距離は、開いて行ってしまったのです...。
あの言葉の重圧。あの時の自分の無力さ。あの時感じた矛盾。
大人になった今でも、決して忘れる事はありません。
逆の意味で傷ついたことを憶えています。
今思えば、あの時、「世の中」とはどういうものなのかを
初めて知ったような気がします。
by 夢追い人 (2005-03-11 16:41) 

acupuncture

 瑠璃子さん
 痛いですね。辛い過去ですね。
 私も教師に手をあげられたことがあります。
 教師どころか人間失格の人間が多すぎます。
 今日偶然オーストラリアのシュタイナー学校に見学に行ってきたので、日本の学校や教育について考えてしまいました。
 一番大人の保護が必要な子供が全然守られていないどころか、虐待されてしまうなんて許されることではありません。
by acupuncture (2005-03-11 17:22) 

たまゑ

うわーん。痛いほどよくわかります。・゚・(ノД`)・゚・
おいらも、そんな風に小学生生活を送っておりました。

父の仕事の都合で一時期、転校してた時の級友に「友達のふりしてやってるんだよ」って言われた頃から友達というものが何だか分からなくなってしまいました。中学の時、トイレ覗かれたのもショックでしたね。

でも、一番精神的に外傷を負ったのが、私のことを馬鹿にしていた連中が無事に高校を卒業してしまったことです。私は酷いうつを患って学校に通えなくなって単位落として退学させられてもう一回、他の学校に入学して高3♪ですよ。笑

もう開き直って笑うしかないです。って、私のことを馬鹿にしていた連中を思い出すと過呼吸起こしそうですけど・・・。(;´Д`)

お疲れのところ、長文駄文書き残してごめんなさい。
いい言葉が思い浮かびませんが、
瑠璃子さんにとって泣かないで済むような幸せな明日が来ますように。
by たまゑ (2005-03-11 20:28) 

neroli

わたしも、常に暴力に怯えた子供時代を送りました。
学校では、あまりに無口でさえない、おとなしすぎる子供のため、
存在を認識されず普通に無視。
家では、人々の争いが絶えず、わたしの体の傷もたえることが
ありませんでした。
泣かないで。お願いだから。
励ましの意味で、nice!を贈ります。
by neroli (2005-03-11 20:52) 

まいけるさん

オイラも似たような経験があります。
思い出したくも無いので書きませんが・・・。
オイラは人生に詰まった時はとにかく少しでも楽しいことを探します。
要は明るい未来です。小さなことでいいんです。夕食はおいしい物を食べようでもいいです。
たとえ行き詰っても過去のせいにしては絶対にダメだ!。
後ろ向きじゃあなくて、前向きに考えようよ!。
オイラはそうやって今まで乗り越えてまいりました。
あと、先生と名の付く連中に殆どロクなやつはいません。中には良い奴も居るかもしれんけど・・・。
政治家、教師、弁護士。コイツらナンボのもんじゃ!。
以上。参考までに。
by まいけるさん (2005-03-11 23:39) 

しんたろ

同じような境遇を味わったことがないので何とも言えないけど、
これを"糧"として生きていけるなら、明日はいい日になるさ。
by しんたろ (2005-03-12 04:01) 

「かわいくないから」ですか…
そんな理不尽な言葉を、大人という絶対的な力で抑え付ける姿勢。
そんな大人がいるから、学校からいじめが消えないわけです。
嫌な事ですが、そんなことも踏みにじるぐらいの勢いでいきましょ。
by (2005-03-12 11:25) 

瑠璃子

みなさん、ありがとう。本当に感謝してます。
私がいえるのは、ただそれだけ。
by 瑠璃子 (2005-03-12 15:13) 

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