ヤンキー義家センセイの問題発言 [小ネタニュース(時事ニュース)]
なんていうか…誰か解説してください。
【ヤンキー先生のおれにまかせる】自律こそ「美」 安倍内閣が掲げる『美しい国、日本』。このスローガンに対して、抽象的だという意見を耳にする。しかし、一体、いつから美とは抽象的なものになってしまったのか?少なくとも、教育においての美は、普遍的なものであったはずだ。 例えば、『躾』という漢字は、『身』を『美しく』すると書く。「ダメなものはダメ」という父権による明確な限界設定と、その中で行う母性による抱きしめ、それこそ古来からの躾の概念だったはずだ。しかし近年、甘やかすばかりで、「ダメなものはダメ」と限界設定をする大人が減ってしまった。結果としていつまでたっても『自律』できない若者が増殖してしまっている。 美しさとは、まさに自律している姿を指す言葉であると私は思う。自然でも野生動物でもそれは同じだろう。ならば、教育における自律とは何か。それは『知』『徳』『体』の三つを満たすことに他ならない。 しかし戦後教育の中では、この中の『知』だけが優先されてきた。勉強さえできれば大抵のことに目をつぶってきた教育が続いてきたといえよう。結果、子供たちの規範意識、体力は明らかに低下した。これでは社会で通用するわけがないのだ。ニートなどの自律できない若者の急増は、戦後教育の必然であったともいえるだろう。 だからこそ今、『体』と『徳』の土台に『知』が立脚する、そんな転換を図らねばならない。『知』→『徳』→『体』の順番ではなく、『体』→『徳』→『知』の教育が本来の姿なのだ。 健全な体に健全精神は宿り、健全な精神により豊かな知が醸成される。これこそ美しい教育の在り様だと私は思う。 (横浜市教育委員 義家弘介)(2007/01/15 09:14)
とりあえず健全じゃない体の人は美しくないってことでFA?それはともかく。
どこからコピペしてきたんだか分からない言葉をとりあえず編集委員がまとめましたって感じがたまりません。そもそも「おれにまかせる」って言葉遣い自体狙った感がせず、まんま誤用然としているのが人徳というか珍徳というか。
「教育においての美は、普遍的なものであったはずだ。」と大上段から振りかぶっておいて、その「普遍的であったはず」の説明がなんもなく、全て本人の脳内から染み出した電波であるっていうのがなんとも。つーかなんとなく文章を読んでいると「自立」と「自律」の区別がついてないような気がするのは私だけでしょうか。だいたいこんな俺ちゃんはこう思うって話を客観的データもなくただ垂れ流されてもどう受け止めればいいんぢゃってハナシです。こんな人が議員になるのか。まさに魔窟ですな。とりあえずこんなヤツに税金が使われると思うと夜も眠れず昼寝する日々です。
躾というのは「父権による明確な限界設定と、その中で行う母性による抱きしめ」だから家庭ですべきで、学校に期待しちゃいけないと。だから、両親に絶縁され、義母を階段から突き落とし、実父を殴り病院送りにして、自ら「律」することが出来ず、教え子に「立」つ教師もいる。
だから、娘が教師に孕まされないよう、まず「体」のことをちゃんと教えなきゃいけない。その上でないと「徳」や「知」の教育なんて、危なっかしい。ということでしょう。
別に、両親が健在でななくても、まともな教師もいるというか、その方が多いと思うのだけど。
by 南郷力丸 (2007-07-24 19:36)