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これまた壮大な落選リスト [小ネタニュース(時事ニュース)]

なんていうか、安倍チャンは護憲大明ネ申としてますますご活躍される所存ですな。まさに生きネ申。 つーか水島「ブル連隊長」社長は南京の真実第二部を早く作れ!誰もみねえから。


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どうして「ダークナイト」が作品賞にノミネートされないんだよぉぉぉお [小ネタニュース(時事ニュース)]

作品賞候補作品見て絶句。「ダークナイト」がはいってないのはありえないでしょ?申し訳程度に助演男優賞候補にぽつんとあるのみ…。脚本賞(脚色賞…には原作らしい原作がないからあたらないだろうと思う。それでも一応原作はキリングジョークになるのか?そうすると脚色賞かも)にすらひっかかってない。アメコミが原作だからか?ここまで徹底して黙殺している姿には感服しますけどね。保守的というよりもむしろ頑固というか頭が化石というかそういうところです。とにかく納得いかない。政治力で選ぶのもいい加減にしろ。「ベンジャミン・バトン」なんて予告編観ただけで見る気なくしたぞ。単なる「ジジイが若返っていく話」であってそれならカフカの猫羊でも映像化したほうがいいんじゃねえかと無学な俺は思った。デビッド・フィンチャー×ブラッド・ピットという魅惑的な組み合わせ(ゴールデンコンビともいう)じゃなきゃ食指が動きませんな。これでブラッド・ピッドがとったらアンジーへの配慮という側面を感じてしまいます。日本の直木賞でもありましたけどね。

そういうわけでなんとなーく、見えたライン。

【作品賞】
『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』

【監督賞】
ダニー・ボイル(『スラムドッグ$ミリオネア』)

【主演男優賞】
ミッキー・ローク(『ザ・レスラー』)

【助演男優賞】
ヒース・レジャー(『ダークナイト』)←これぐらいはやれ!

【オリジナル脚本賞】
『ウォーリー』(アンドリュー・スタントン、ジム・リードン)

【脚色賞】
『スラムドッグ$ミリオネア』(サイモン・ボフォイ)

になるんじゃねーかと予想。ブラピはたぶんとれないだろうなあ。ブラピとディカプリオ、どっちがさきにとるんでしょ。

それにしても日本語タイトルからしてお前ら真面目にヒット狙ってないだろとしか思えない「愛を読むひと」(「愛を乞うひと」を意識してるよなあこのあたりからもうナゲヤリっぷりが伺える)があのベルンハルト・シュリンク「朗読者」の映画化とは知らなかった。ケイト・ウィンスレットか。原作のイメージとは違うとしかいいようがないな。まあニコール・キッドマンよりはマシなのでよしとするかレベル。あの重くて深く底がぼうっと広がっていて乾いている原作を「めぐりあう時間たち」の監督がどうさばいているのかは気になるが、「愛を読むひと」のタイトルのせいですべて台無し。もうすこし配給会社は考えろよ。「朗読者」は地味だと思って「愛を読むひと」にしたんならその壊滅的センスにはひたすら恐れ入るしかないのだが。


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日韓議員連盟内閣(笑) [小ネタニュース(時事ニュース)]

日韓議員連盟名簿をみて驚いた。いやー今度の内閣閣僚ほとんどそうですねえ。以下該当者に○をつけてみた。  

▽総理 麻生太郎(衆)  → ○ 副会長  

▽総務 鳩山邦夫(衆)  → ○  

▽法務 森英介(衆)   → ×  

▽外務 中曽根弘文(参) → ×  

▽財務・金融 中川昭一(衆) → ○ 幹事  

▽文部科学 塩谷立(衆)  → ○ 幹事  

▽厚生労働 舛添要一(参) → ○ 幹事  

▽農水 石破茂(衆)     → ○ 幹事  

▽経済産業 二階俊博(衆) → ○ 常任幹事  

▽国土交通 中山成彬(衆) → ×  

▽環境 斉藤鉄夫(衆)  →  ○  

▽防衛 浜田靖一(衆)  → ○  

▽内閣官房 河村建夫(衆) → ○ 副幹事長  

▽国家公安 佐藤勉(衆)  → ○  

▽行政改革 甘利明(衆)  → ○  

▽経済財政 与謝野馨(衆) → ×  

▽消費者行政 野田聖子(衆) → ○ 幹事  

▽少子化 小渕優子(衆)   →  ○ 幹事

まあ大部分が加盟しているから当然そういうことになるのかもしれないが…たまにネトウヨさんのブログなんかで「日韓議員連盟に加盟しているから売国奴」とか書いてるのを見かけるが(日韓海底トンネル推進議連ではなくて!)そうなるとこの閣僚の面々は…。


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あまりにも「個人の選択」に帰着しすぎている [小ネタニュース(時事ニュース)]

赤ちゃんポストに子ども預けた母親、6割30~40歳代  

親が養育できない新生児を匿名で託す慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)について、子どもを預けた母親の年齢層は、30~40歳代が6割、20歳代が3割、10歳代が1割だったことがわかった。有識者らによる検証会議が8日、熊本県に提出した中間報告書で明らかにした。  ゆりかごに預けられたのは、運用開始の昨年5月から今年3月までに計17人(男13人、女4人)に上ることを熊本市が公表。検証会議が病院や県が把握した情報をまとめた。  報告書によると、預けた理由について「経済的に困難」を挙げた母親が複数いたという。自宅や車の中で一人で出産した事例が3割あり、障害児が預けられていたことも明らかになった。両親とも外国人のケースもあった。未婚の母親はおらず、4割は離婚して母子家庭だった。  報告書は、ゆりかごについて「命を守るぎりぎりの選択」と一定の意義を認めながらも、匿名で預けられることに問題が少なくないとし、「公の制度とするには慎重であるべき」と指摘。全国統一の電話相談窓口を開設することや周産期医療機関の連携の強化を求めた。報告書は近く蒲島郁夫知事が国に提出する。 (2008年9月9日 読売新聞) http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20080909-OYS1T00181.htm

このニュースに関するエントリーや日記を読んでいると「それなら産むな」とか短絡した意見が多々目に付く。あとは「子供は可愛い」とか「愛」だとかひどく情緒的な意見だ。確かに問題が問題だけに(話者それぞれの「人生」や「家庭環境」に直接訴えかけてくるし語りやすい問題であるので当然であるが)情動的な意味合いで語りがちだが、しかし本質的には社会的な問題なのではないか?「個人の選択」が「社会に選択させられている」「社会的に選択せざるをえない」ことを直視せずに語れば単なる個人攻撃や自分語りで終わってしまうだろう。

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統計的に見れば中絶率(図参照。平成15年)は20~24、25~29、30~34と推移していく。これは完全失業率の高い年代でもある。さらにいえば、年代が高くなればなるほど再就職は厳しくなるというのは常識であり、特に30~34は企業側が失業→再就職を受け入れるギリギリの年代といえる。(この場合の「再就職」の意味にはヘッドハンティングなどは含まない)契約社員が契約を打ち切られればあっという間に「ネットカフェ難民」「ホームレス」へ「転落」するというのは誇張表現ではなく、すでに「事実」。雇用をめぐる環境は年々厳しさを増している。もちろん個々のケースを精査しなければ断言は出来ないが、そういった要因を考慮してこの問題は考えるべきではないのだろうか。

こうみていくと20代は(非常に嫌な言い方だが)中絶したとしても、この次は…と思えるけれども、30代40代になると女性は高齢で次子の出産が難しくなるので「次」が考えにくくなり産んで苦しいときだけなんとか預かってもらおうという背景が浮かび上がってくると思うのだがどうだろう。 「預けるのならば産まなければいい」という意見があるが、10ヶ月を経るうちに「産める環境ではなくなる」ということは多々ある。もちろんいつの時代もどの年代でも「個人の選択」で中絶・施設預けを行う人はいるだろう。それを前提になおいいたいのは、雇用状況を含めた包括的な「社会全体を見据えた視点」で語ることが必要であるということだ。

出産リスクが高くなり次子が厳しくなる年代がなぜ「こうのとりのゆりかご」を頼るのか。「個人の選択」のみに帰結させては、問題点を見過ごし、「産むことが前提」の社会(そして子育てに伴うリスクを「個人の問題」として解決を個人の努力のみに頼ること)から「少子化前提の社会」(子育てのリスクを社会に照射しリスクを「個人」と「社会」とへ分散させる割合を増やす)へ。「社会」のしわ寄せが「赤ちゃん」へ向かうのは非常に残念でならない。


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バイブ片手に微笑む室伏 [小ネタニュース(時事ニュース)]

北京五輪では残念な結果(とはいっても本人も悔いがないみたいだし健闘した結果なんだろうけれど)に終わったハンマー投げ室伏選手ではあるが、五輪が終わったあと2位と3位の選手のドーピング問題で繰上げか?とまたまたニュースになっている。でもって私は「室伏選手」ときくと反射的に思い出すことがある。

朝をガッツリ食べる派である私は、たいてい昼は腹が減らないのでコンビニで読書に励んでいる。特に買おうとは絶対に思わないコンビニ本と呼ばれる2ちゃん画像板からオモシロ画像をダウソしてきて紹介するだけの本やら「稲川淳二のとっておき!怖い話」ってオマエそれもう100万回ぐらいネタにしてるだろという使いまわし本やら、「封印作品全集」という「封印作品大全」からまんまネタをもってきてでっち上げたような本やら、まあ読むだけで確実に人としての貴重ななにかを失っていく感がする被虐的な感じに胸打たれる内容が目白押しの本にハマったのでした。

一時期このコンビニ本シリーズに「芸能界裏話」「あの俳優、この女優のスゴイ話」とかいうジャンルが一角を占めていたことがあった。たいてい似てないような似ているような微妙なラインのイラストかデッサンが確実に狂っている(もしくは金のために引き受けました感がコマの間から漂いまくる)漫画と愚にもつかないような「週刊実話」「アサヒ芸能」の匿名座談会の孫引きやしゃご引きみたいな解説文(たいていは「芸能界とはこうして生き抜かなければならない厳しい世界なのである」とかなんとか三文教訓話が末尾につく)がセットになって500円という500円の貨幣価値を真っ向から問いただすような本が金太郎飴のようにグダグダと並んでいるのだが、その中で「イケメンの裏の顔」というタイトルの章があった。あるグラビアアイドル(かアナウンサーかモデルか忘れた)がハンマー投げで有名な長身マッチョな某選手と飲み、そのあとホテルに誘われマンコのチャンスとばかりについていくと、某選手は手持ちのカバンからぶりぶりカマ首を振る例のアレを取り出し、両手にそれぞれ握り締め「どれがいい?」とものすごいさわやかな笑顔でモデル(かグラビアアイドルかアナウンサーか忘れた)に語りかけるのである。アナウンサー(かモデル以下略)は青ざめ逃げ帰って漫画は終わる。イラストの微妙だがしっかり「彼」とわかる特徴をとらえたあの笑顔に作者の才能が若干きらめいていた。

困ったことに以来(その漫画には某選手がまさか室伏であるなんてことはまったく書いていないのだが)氏の笑顔が画面上に映し出されると、反射的に例のカマ首をぐりんぐりん振り回してきかん気を発揮しているアレを握り締めている姿が目に浮かんでしょうがない。知性的な顔に野蛮人なアレ。見事な好一対であったが故の悲劇といえる。(これはやはりコンビニ本会社に謝罪と賠償を訴えるべきだろう)室伏選手におかれては今後あれをブルンブルン振り回しながら迫ってほしい。もちろん世界記録にである。しかしまたしても繰り上げ銅メダルの可能性とは。ついているんだかいないんだか。


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阿呆幹事長にマダムスシにノビテルにチビタ、まさに百鬼夜行だな [小ネタニュース(時事ニュース)]

総裁選はなんだか混沌というよりも百鬼夜行という感がしてきた。

麻生阿呆幹事長はまあまったく嬉しくない本命としても(統一教会系の日韓トンネル研究会顧問ってやばいだろとかいろいろありすぎ)、対抗馬が“航空自衛隊のジェット機もハイブリットに!宣言でおなじみの”マダムスシ、“気がつけばオヤジの後ろ”のノビテル、“イラクの位置もわかりませんが外務副大臣”のチビタと、小物の寄せ集め廃材一掃決算セールみたいな状況になっている。自民党の人材難もついにくるとこまできたな。これじゃ民主党の方がなんぼかマシと思えてくる。しかも集まってくる人間がスシにノビテル、チビタとくれば相対的に麻生がなんとなくマシに見えてくるから嫌になる。石破氏は総理大臣というには二の足をちょっと踏みたくなるし(というか防衛大臣だけではなく、党内職務ももう少し経験した上で出馬してほしい)、与謝野大臣は健康面で不安がある。(ちなみに自作PC作成が趣味というのが個人的に非常に好ましいのではあるが)消去法で総理大臣を選ばなければならないというのは嘆かわしいというよりも、本質的には戦慄すべき事態とすら思うが、あまり私ほどの危機感を抱いている人は少ないのかもしれない。 一番怖いのは誰がなっても滞りなく行政は円滑にすすむでろうという日本の官僚の優秀さの証左をまたしても世界に向けて大々的に発表する結果になるだろうということだ。たとえ汝人民が飢えて死に、経済が停滞して日本が激しい地盤沈下に見舞われていくとしても。

追記:チビタのイタチこと山本一太外務副大臣(…)のブログを読んでて泣けてきた。

自分のイメージでは、この総裁選挙に参戦すべき「次世代の候補者」は、「頭でっかちの優等生」でもなければ、「要領のいいエリート」でもない!(*インパクトのない議員が出たところで、全く意味をなさない!) 「自民党の既存のシステム」に真っ向から挑戦し、「古い世代」の政治家たちが絶対に言えない「正論」を展開出来る「気概」と(ある種の)「狂気」を持った政治家だ。 http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2008-09-04-1

おまえか?おまえのことなのか?自称かコラ。


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「世の中には三種の人間がいる」みんな三種類が好きだよね。 [小ネタニュース(時事ニュース)]

結婚式の祝辞とか訓示とかあるいは月曜日の退屈な校長先生の朝礼でもいいけれど、そういう席によくかかる「お題」として「○○は三種類ある/わけられる」というのがあげられますな。一種類しかいないというと自己紹介するな馬鹿だし、二種類といえばそんな単純な二項対立構造では55年体制を語れないといわれ、四種類では「四」は「死」に通じるので縁起が悪く、五種類六種類となるとそんなにわければ誰でも当てはまるわと罵倒されるので、三種類で区切れば頭の良さと決断力と分析力があるような「気」になるから重宝されるんじゃないでしょうかねと妄想。そういや田中真紀子も他者の認識は「家族・敵・使用人」しかないって立花隆がいっていたけど、まあそういうわけで「○○は三種類でわけられる」とかぶちあげた時点で例のアレねと思うだけです。

■[政治]3種類のクズがホームレスになりやすい。 http://d.hatena.ne.jp/kajuntk/20080902/1220341668

私がこのエントリに対してはブクマに書いたコメント「根本敬がこういうのならばまだわかるが、だが根本敬はこんなことは言わない。だから私は根本敬を支持する」こと以上の感想はもっていない。「分裂勘違い君」というエクスキューズの元で釣りエントリを書くなんてあほじゃね?とは思うけど。念のためちょっとだけ触れると、これを読んだとき、根本敬氏が佐川一政氏と一緒に松沢病院の運動会に行き大笑いしたエピソードを思い出した。そして同行した女性編集者も大笑いしていたのだが、根本先生は非常な違和感を感じていた、という。「俺たちは大笑いしていても、腹の底でものすごく重たいものがあるんだよ。でもその子にはそんなものはなく、ただ無邪気に笑い転げていた。それでいいのかと。」(ちなみにこの女性編集者はこの出来事のすぐあと精神のバランスを崩し退職したそうだ)こういういわゆる「Disる」やり方や釣りエントリーはよくある。レイシズムな文章も良くある。そういう単なるアレなものについては嫌だとか何とか思う前にもう適当にああ馬鹿だねと嗤ってやり過ごせるが、このエントリーに対しては私はどうしてもぬぐいきれない嫌悪を感じてやまない。それは無意識的にエントリーの書き手が自分の立ち位置を(本質的には見下している)ホームレスの側にあると思っていること、そこからくる。それも妙な正義感コミだから始末に終えない。こういうのを偽善者といわずしてなんというべきだろうか。エントリーについたブックマークコメントに「人類愛を感じる」というのがあったが、それこそこの作者の目論見だろう。でもそんなものが目に付く時点で偽善者確定なのだ。 まあでもこの質の悪いエントリーを書いた人間は自覚的だからまだマシだと思える。エントリーについたブクマコメントを読むとマジで「感動」や「同意」しているようなものが散見されるので困惑する。

2008年09月03日 abortion 3番目に該当するホームレス予備軍だけど同意できるなあ。図書館よりも安楽死施設、生存権よりも安楽死権をくれ。

2008年09月03日 proverb 極端だなぁと思ったけど大体同意。俺はルサンチマンのバーチャル世界で可愛い女の子とセックスしながらガス室でバーチャル腹上死したいわ。そんな俺はホームレス予備軍。

2008年09月02日 munyuu これはすごい, 社会 ごく一般的な常識。ところが、豊かになり自立する必要がなくなったおかげで生まれた馬鹿が、ホームレスを賞賛するからおかしくなった。id:CrowClawはファシズムについて無知すぎ。ムッソリーニの演説でも読め。

こういう極論に安直飛びついて憂さ晴らしに励む人々を見ていると、エントリーを書いた人間よりももう一段も二段もビョーキって思うな。他者の極論にオノレを無造作にゆだねているとこなんて、2ちゃんコピペそのまんま信じて支那ーとか吹き上がっている連中と大差ない。 ブコメの馬鹿はおいておいて、こういうエントリーを安直に「賞賛」するような更なる大馬鹿が1bit脳を全開にして駄文を書くとこちらとなる。

■[社会][思想]ホームレスに人権があるだなんてただの屁理屈だよ http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20080831/1220163097

■[社会]例のホームレスのエントリのコメ欄があまりに長くなったし、回答しきれないので別エントリにしてみた。(追記あり
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20080902/1220325312

特に後者でどんどんと化けの皮がはがれていくのは愉快というよりも単に気の毒。

・「ホームレス=自由な人」
・「ということで、はじめてホームレスの実態に興味を持ちましたが」
・「ちょっと折角なんで自分語りしますとね、私いやなんですよ。みんなが不幸なのが。自分のことを不幸だって言ってる人を見るのがいやなんです。嫌いなんです。気持ち悪いんです。ほんとはただ幸せだって言えばいいだけの話なのに、あえて不幸だとか言っちゃう。」
・「そういうホームレスに権利を与えようとすることについてはどのように思いますか?」
・「資本主義はあらゆる価値を商品化しましたが、次に商品化されるのは価値観ではないでしょうか。」

 といったコメントあたりにむせ返るような香ばしさを馥郁と漂わせている。おちんちんを良く洗わないとカメアタマの周りに付着する素敵物体みたいだ。あまりの芳しさに鼻が曲がるわ。(口が曲がるのは野望の王国の予兆)こんな馬鹿が適当に斜め読みしたフーコーだのウェーバーだのを自説の補強に持ち出すなんて冒涜もいいところ。てめえふざけんなと論戦を挑みたくなるが、でも「誤読だ」「読み違えんな馬鹿」とかいわれると全力で「なんでですか!」「どこかですか!」と教えてチャンに変貌するようなどうしようもない人なんでなにかいう気力がそがれるわけですが。 まああれですよ、「世の中には三種類の人間がいる」っていって陳腐な例を持ち出して悦に入るんだったら以下の言葉をかみ締めてからにしてくれというところですな。

「この世には三種類の人間がいる。 数を数えられる者とそうでない者とだ」


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INFOBAR2の使い心地 [小ネタニュース(時事ニュース)]

でもってINFOBAR2である。

前作INFOBARを買わずに終わってしまった私のようなリベンジ組も多いと聞く。私にとっては初デザインプロジェクトものである。

リベンジ組、と書いたけれども、実のところINFOBAR2とG'Z ONE次世代機があるとするならば、まず間違いなくGショック携帯へ飛びつくだろう。使い勝手そのほかカシオでなくちゃ、という部分が多々あるため。しかしおそらく次世代機は来年、下手したら再来年まで待たねばならず、今の携帯を直しても高くつくという話を聞いたところへINFOBAR2発売である。消極的選択とはいえ、かなり興味があったのも事実。購入したのはNISHIKIGOIである。MIDORIと迷いに迷った末、残ったこいつに決めた、である。派手だから見飽きないか心配。

さて本題。
初代INFOBARはナンバーキーがぽこぽこと浮き上がりあそこがガラス加工品のようでよかった。今回は埋め込まれて一体化。溶けかけた飴をイメージしているそうだが、あのテリがなくなったのはさびしい。ぱっと見て「チャチだな」という印象があったが、残念ながら購入してもそれは消えない。高級感からはちと程遠いかも。有機ELパネルは非常にきれい。前の携帯で撮った画像もきれいに写る。明度と彩度を明確に仕上げるというよりは、潤んだような質感が加わっているように思える。直線的ではなく丸い表現といえばいいのか。たまたまそのときINFOBAR2へ取り込んだ画像が生牡蠣だったというのもあるかもしれないが、しかしこれがまた実にあの牡蠣特有のつるりぷりんとした質感を伝えていた。
価格ドットコムなんかの掲示板を見た限り、音とカメラには期待するなということだったが、確かに音はそうかもしれない。私の耳では圧縮して作った着うたも購入してダウンロードした着うたフルも大差なく聞こえる。正直音のよしあしではどちらかというと前のG'zOne W42CAのほうがよいように思える。音声通話については問題なし。聞きづらいといわれることも、聞き取りにくいといわれることも、いまのところはない。レスポンスも早く、感度もよくなっているようだ。さすがに地下鉄は無理だったけど、それ以外でもかなりがんばっているように思えた。

ほめてばかりはアレなので、これは、という点もいくつか。まずキー。これが大きいのはいいけど、「6」や「9」「0」といった脇や下にあるキーが激しく押しづらい上に、つるつるした塗装なので、落としそうになる。これは怖い。片手ではいささか難があるので慣れるまでは右で打ち、左で支えるようにしている。ストラップがあれば多少違うのだろうから、できれば同時購入をオススメしたい。あと発売と同時に液晶保護シート売り出せよ。液晶が心配でかばんの中に気軽に放り込む気にはなれない。画面はオフィスで使用すると灯りが入り込んでしまう。これが見づらい。つるっとした塗装がウリなのはわかるがiPodのようにシリコンカバーが欲しいところ。手に持つとなにかの拍子で落ちそうで、ひやひやしてしまう。デザイン重視となるとしょうがないのかねえ。
また変換についていえば、今まで使っていたG'zOne W42CAが「フライ」と打って変換キーを押すと「fry」と出てくるような仕様だったので、それに慣れてしまっている身からすれば、いちいち英語辞書変換しなければならないし、しかもぱっとでてくるわけでもない。そういう意味ではちと使い勝手悪いかな、という気がする。予想変換と単語変換が一緒になっているのも厳しい。(例えば、悪と入力すると「悪魔」やら「悪代官」やらが延々表示され、スクロールしないとそのとおり「悪」と表示しないという感じ。G'zOne W42CAだと「悪魔」「悪代官」という予想変換のほかに単語変換もキーを押すば一発でできた)ただ変換については当方の操作ミスという可能性もあるので、マニュアルを調べていくつもりっす。

まあ、多少厳しい意見を書いたが、手になじめるよう長く大事に使っていきたい。なにせ手のひらへの馴染み力にかけては今まで使った中で一番ですから。


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天翔る柳美里センセ「自分大好き強化月間」 [小ネタニュース(時事ニュース)]

柳美里の作品はどうにも好きになれない。

それは作品の中へ抑えきれない自我がいざあふれんとこちらに迫ってくるような、パセティックとも違う、妙な居直りが感じられるような気がするからだ。そしてその傾向は近年とみに強くなっているように思える。

それにしても本の表紙でフルヌードかよ。書店で平積みされていれば否応なく目に入るわけでこれは一種の暴力だな。作家ヌードといえば悪名高い「田中康夫」と「林真理子」(セミだけど)の両巨頭が君臨しているわけだが、ここにもう一人乱入で、三すくみですか。イヤハヤ勘弁してくださいよ。こういう場合、自分の裸が見るべき価値があるものかどうかという客観性がまずくるべきだと思うのだが、それよりも「己の生きた証として見せたい」等々の「自分の人生その他は見せるべき価値のあるものだ」というような妙な肯定が先に来るらしい。見たくないと思う人間がいることを想定してないのだろうか。その点まだ内田春菊のほうがいいように思える。確か彼女も著作の中でヌードを披露していたが、それは表紙ではなくて中を開いてはじめてわかるものだった。なんというか、柳美里の自己顕示欲肯定力には恐れ入るが、それだけ不安定なのかもしれない。絶えず自我を発露し、人前に己をさらし、世上の認知を得ていないと自己肯定感が生まれないのだろうか。まったくそれにつき合わされなきゃいけない義理なんてこっちにはねえよ、と意地悪な目つきをしてしまう。しかも純文学として昇華しているのならまだしも、単なるお前のつらい人生とやらの垂れ流しには、興味のない人間からみりゃどうでもいい話なんです。しかも今回は垂れ流しにヌードまでつけてくれるなんざ有難いことこの上ない。とうちゃん嬉しくって涙でてくらあ。そんなに「素の自分」だの「ありのままの私を見せたい」だのとゴタクを抜かすなら、その辺の道端ですっぽんぽんになってマタグラご開帳してりゃいいじゃねえか。

「石に泳ぐ魚」裁判でもそうだったけれども、芸術至上主義は結構だが(女太宰?笑わせるな)自己の認識をそのまま他にも当てはめるというのはどういう神経しているんだろうね。この自分が望むこと思うことを提供することはその他大勢他人よそ様も望んでいるに違いないと思える臆面のなさ、自己の価値観をイッパンタイシュウへも広大無辺に適用し、一般化可能だと思っているそのあたりが傲岸不遜だなとおれっちなんかは思ってしまうわけです。まあそれがゲージュツ家というのなら、おめでとうございますとしか言いようがないのですけれども。

あんたの裸に値打ちを見出すのは、あんたの男(も嫌かもしれないけど)とあんただけ。見せる「意味」の前に「価値」があるのかよく考えろとは言いたいが、おゲージツ活動の一環ならば仕方がないとムチモーマイな大衆の一人としてはため息をつくしかないのかも。


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パクリの友は仲良くパクる [小ネタニュース(時事ニュース)]

オタキング(笑)があるWebサービスを停止させた件は記憶に新しい。

問題となったのは、ダイエット支援webサイト「いいめもダイエット」。岡田斗司夫ヒョーロンカは著作権侵害であると同webサイトに抗議し、サイトはサービス停止という措置をとった。これについて岡田ヒョーロンカは“「いいめも~」が「レコーディング~」を誤解させる構造になっていたことが抗議の理由だった”と釈明しているようだ。

岡田斗司夫さん、ダイエットサイト閉鎖問題で釈明
(以下の産経webにて全文が読める)
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n4.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/071026/bdy0710261755004-n5.htm

著作権上問題が、などとおっしゃられてるようだが(その割には引用についての記述などを読む限りあまり著作権法についてはお詳しくないように思えたり)そもそもレコーディングダイエットなるものは、そのダイエット法だけを取り上げるならば糖尿病やら栄養士と関わりがある人なら周知な話であり(ちなみに私はウェイトトレーニングをはじめた17歳の頃に勧められた)ダイエッターやビルダーならなにを今更な方法論だろう。まあレコーディングダイエットという名称については商標登録してれば確かに無断使用すれば問題があると思われるが。

ではそういう方法論以外はオリジナルなんかいといえば、正直私にはクロに近いグレーと思えてしまう。元ネタ?と思われる先行本があるのだ。(夏目祭子著「ダイエットやめたらやせちゃった」)しかも作者は現在オタキング(笑)に「事実関係について問い合わせている」という。

『いつまでもデブと思うなよ』第7章が『ダイやめ』をマネているというご指摘に答えて
http://blog.so-net.ne.jp/antidiet/2007-10-24

先般来、オタクアミーゴスのお仲間であるところの唐沢センセイもUFO本で素人ブロガーから丸パクして朝日新聞書評をお休みする羽目に(推定)なってしまったようだが、さすが同好の士、このあたりもあうんの呼吸なのかしらん。UFO本といえば、2ちゃんに興味深い書き込みがあった。(以下引用元は2ちゃんねる書籍板・唐沢俊一12スレより)

254 名前: 書店員 [sage] 投稿日: 2007/10/25(木) 21:23:22
>>230
これはウチで使ってる問屋の話だけど,
書籍の流通ラインには,新刊ラインと注文ラインがあるわけだ
新刊ラインはその通り新刊を扱うラインで,本の配送数は
事前注文や実績を元に自動で決定される(出版社や問屋の意向)

んで注文ラインは純粋に書店の注文分のみ扱う
この2つは書店に届ける配達時間も異なる

さて,売れ筋の本に増刷がかかった場合,注文ラインをあえて通さずに
新刊ラインを使って配本する場合がある
つまり新刊ラインとは言っても,新刊でなくても流せるわけだ
んでUFO本の場合,2刷は新刊ラインで流した

例えば内容に問題のあった本の改訂版を出す時には
事前に返品依頼をFAXで流したり,営業が直接書店を回って返品させ,
改訂版を新刊ラインで流すのはよくあること
UFO本の場合は,返品依頼が無い以外は以上の例を踏まえている

ちなみに俺は新刊書にUFO本がまぎれて来たのを見て2刷だとピンと来て
このスレに報告したんだが,
書店員で唐沢と騒動を知ってて2刷の存在に気づいたのは
多分日本で俺一人,こっそりすぎだぜ幻冬舎

 

これが本当ならば、幻冬社の問題処理能力における辣腕さには驚愕せざるを得ない。

でもって私はと学会ファンではあるのだが、正直上記お二方はあまり好きではない。お二人のスタンス(特に唐沢センセイの)が「と学会ファン」でもありながら「根本敬主義者」でもある私からすると他者との差異を自らの優位性へ反転させてるような気がして苦手である。いや昔は唐沢センセイの本、大好きでしたよ。貸本漫画をいろいろと紹介しているあたりとかずいぶんお世話になったもんだ。ただこのところのセンセイのお仕事振りを見ていると、どうも「ひさしを借りて母屋を乗っとる式」の戦国乱世下克上主義がかいま見えるようでいただけない。あくまでも内部を知らない赤の他人の無関係第三者から見た限りでは、最初はちょっと関わったぐらいに見えたのがいつの間にか自分こそその道のプロみたいな感じでおさまってるように見えるのだ。それは奥方との共著である「すごいけど変な人」を読んでますますそう思う。

これは何人かのいわゆる「変人」を取り上げ漫画(ソルボンヌK子)と文(唐沢センセイ)で紹介していくありがちな雑学?本なのだが、この中にエド・ウッドがでてくる。「死霊の盆踊り」を二人でみてソルボンヌK子が「つまんね!」というのを唐沢センセイが得意の雑学知識B級博学でもって良さをデンドウしていくという内容。このほか唐沢センセイのありがたいご高説もあるわけ。(この構成ちと恨ミシュランぽいと思つてしまつたよ)
ここだけみると90年代はエド・ウッド流行ったよね、みたいな話で落ち着くわけだが、奥付けみればアータ2001年発行。ショーワなネタをおっとり刀で振り返るにはいささか(つかドロドロに)鮮度落ちてやしないかね?それにしても遡上にあげるのが「プラン9」でも「怪物の花嫁」でもなく「死霊の盆踊り」っていうのがアレだな。「エド・ウッドとサイテー映画の世界」(1995年発行)以前のネタだろこれ。イマサラともいいたくなくなるこの周回遅れの甚だしさ。しかも本の中でいっぱしのエド・ウッドマニア、いかにも俺は昔から知っていたんだぜ?俺こそ専門家みたいな語り口だし、これには失笑を通り越して気の毒にすらなった。先駆者への礼儀なんてことは論理外なんだろうな、というのはよくわかった。なんちゅうか、柳下毅一郎町山智浩江戸木純といった面々にどのツラさげて、と思うがきっとそんなことを考えてはオゼゼがゲットできないほどライター世界は百鬼夜行の死屍累々なんでしょうな。

貴重な野生動物のように、彼らの居場所は年々狭められているように思える。そりゃあっちこっちからパッチワーク(そういや酒鬼薔薇事件の時犯人の文章をそう評してたな唐沢センセイ)みたいに知識を寄せ集めしてたら、語学力と根性、マニア愛にあふれたより詳しい人があらわれた際にどうなるかは火をみるより明らかだ。知識の裾野が決まっているのだから、意外な組み合わせで勝負するしかないのに、そういう努力よりもなんとなくウラガワの「政治力」的なモノが透けて見えてしまうとなると、事物それ自体を愛でるのではなくそれを知ってる自分にまず愛着がくる、なんて風に、案外人は見抜くのかもしれない。なんですかね、バブル時代に多角経営に乗り出した企業はいまみんなアレになっているという事実をもう少しきちんと考えたほうがいいと思う。特に唐沢センセイにおかれましては。


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