SSブログ

「それって、アタマ悪過ぎ」 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

たまに私のことを「頭が良いね」などとという人がいるが、そういう言葉は、単にいやみかなにかだと思っているので、一切気にしないことにしている。どっちかというと私は頭が悪いと思っているからだ。どういう風に頭が悪いかというと、すぐにチンマンコとか言い出す時点で既にアレですな。それはさておき。

さて、「頭が悪い」状態にも種類がある。まあ私のようにあまりにも根本的な部分で問題がある場合や、徳川幕府は平安時代に誕生した、というような基礎学力に欠けている人なんかは分かりやすいとは思うけれども(特に基礎学力不足な人は、アイドルなんかだと「天然」と言い換えられて、それはそれで萌えポイントになったりしますな)、厄介なのは、前後矛盾したことを平気でいい、それでいて他者をダブスタと批判したりする客観性がかなり欠如しているような人である。往々にしてこの場合は、周囲とは言語認識能力および使用する力量の差が顕著となり、本人だけが自覚できないがまわりは認知しているという図式に陥りやすい。また、そういう人は、他者の言質をとる、つまり誰かが発言しないと自分ではなにかを言うことができないという、本人の「問題」が発揮されるのが「誰かがなにかを発言した際」なので、かなりたちが悪い。具体的に指摘しづらく、したとしても例えば「空気読め」に代表とされる曖昧な表現しか思い浮かばないので、言語認識能力および使用する力量に差がある人(+客観性の欠如)は指摘されてもなんのことやらさっぱりだろう。なぜ「差があるのか」が分からないから問題なのであって、その差を理解させようとしても、病巣が「イギリスでおきたフランス革命」ばりにわかりやすくはない分、徒労に終わる蓋然性が高い。基礎学力が足りなければこちらも諦めがつくけれども、こうなってくると、話していてもお互いいらいらするばかりで、まったく先には進まないし、建設的な方向には進みづらい。困ったものだ。

この前、久しぶりに昔荒らされた自分のブログ記事を見て、炎上とかなにやらを少し考え見た。そのときは炎上までは行かなかったけれども、とにかく炎上させる人も、されちゃう人も、上記のような傾向が見受けられるのが面白い。「その結果他者がどう考えるか」という観点がまるごと抜けているのだ。まあ書き手/受け取り手の能力が問われないのがネットの良いところで、またいかがわしいと世論から認識されてしまうところなのだが、淘汰されたらつまらないとも思う。結局のところ大事なのはチョムスキーのいうように、情報を精査する能力なのだろう。なのに、その最も重要なところがどこか放置されすぎているように思える今日この頃。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。