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コンプレックスを生み出したのもお前なら、あとはてめえでなんとかしやがれ [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

映画を毎日きっちり見てる割にはそのほかに書くことが多すぎてレビューまで手が回らんですよ。キムギドクの「弓」はよかったとか、いやレビュー以外にも先日もの凄くイイ男と飯を食ったとかいろいろ書きたいのにちくしょうめ。だからこんなことで煩わせんじゃねえよオマエのことだよわかってんだろ。

コンプレックスなんざてめえで生み出したもんじゃねえか。他人がどうこう言おうとも拘泥してしまう自分にとっての課題をコンプレックスというのなら、一人相撲もいいとこだ。コンプレックスへの呪詛はお前がお前に言っている寝言に過ぎないことに気づけ。誰かがお前の欠点を馬鹿にしたからコンプレックスになったなんて人のせいにするな。創造主なら生み出したものに対して責任をもて。不細工だから男にもてない、背が低いから女にもてない。だからどうした、と私は言いたい。もてないからなんだっての?もてたいならそれなりに努力しろよ。顔面に恵まれているやつだって頭脳経歴に恵まれているやつだってそれなりにみんな努力している。いわんや恵まれてないやつなぞ、努力しなきゃどうしようもねえじゃねえか。二言目には俺はこうだ私はこうだと繰言ばかりヌかしているから「理由」にされるんだよコンプレックスを。

例えば、男と別れる、またはフルときだ。

私なら、その後もそいつと友達付き合いしたいとも思わない場合、徹底的に酷いヤツになる。だいいち後腐れなく別れるには、憎まれるのがもっとも効率的かつ有効な方法である。そういうわけで別れる理由としてそいつがコンプレックスに感じている部分をつく。よってそいつが不細工なのを気にしているのなら「顔が悪いから」、背が低いのを気にしてるなら「ちび」だからといえば、二度と連絡をよこしてくることもないだろう。本当はそいつの性格上に問題があるときでも、そんなのを指摘してぐだぐだするのも面倒だし、どうでもいいやつがどうなろうと私の知ったことではない。

そう、だから断られる理由で自分のコンプレックスを相手が指摘したとき、怖いのはそういうことだ。「背が低い」のを理由に断られたとしても、実際は「背が低いことをぐだぐだいう性格」が嫌なのかもしれない。ていうか、そうなんだろうけどな。うざいんだよ。

なぜうざいか。

「俺は背が低いだろう?」っていうとき、否定してもらいたいという気持ちがその裏にあることが透けて見えるからだ。「そうじゃないよね?君はそんなこと気にしないよね?ありのままの僕を受け入れてくれるよね?」ということに対して、毎度毎度「ありのままのアナタがスキよ」みたいにいわなきゃいけないなんてウザい以外の、なにものでもない。確認作業が必要なら音声付ダッチワイフでも買えばいいのだ。

ありのままの自分に価値があるとか意味があるとかよく思えるなって私なんかは感心する。ニーチェ式に「価値のない意味のない人生だからこそ自らで価値を作り出すのだ」っていう風には考えないんだな。だってメンドクサイし。ありのままを認めろっていうのは相手に甘えている行為に過ぎないんだけど、ご本人はそのつもりなく、権利主張だと捉えていたりするからフシギフシギの不思議膏でございます。

さてオノレの身体的特徴にコンプレックスをもつのは、まだ消化しやすい。どうにもでなるのならどうにかすればよいし、どうにもならないのならあきらめて別な側面からアプローチすればよいからだ。それにいつだって歴史を動かすのはルサンチマンであるとカール・マルクスもいっておりますし(嘘)。では、オノレの過去にコンプレックスを抱えている場合はどうしたらよいのだろうか。忘れられるから生きていけるといったのは三島由紀夫だが、忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ、なんて哀願調でまとめられてもねえ。忘れようとしても忘れられない。オノレが異常者であるという烙印は自分では消せない。時が経っても、それはひどくなることはあるにしろ、決して勢いが衰えることはない。なぜならオノレがしたことだから。

私が男と寝る、性的な行為を行ったのは4歳から5歳にかけてのことだ。
お医者さんごっこなんていう生易しいレベルではない。相手の子も同じくらいだったから勃起できなくて挿入まではできなかったけれども。いまでもあのときのことは鮮明に思い出すことができる。

私は被害者ではなく、ある意味加害者だ。なぜなら私が誘ったから。時が経てば経つほど、私は自分のしでかしたことの意味とその重みを十二分に理解させられる羽目になった。私は、たとえ親であれ、男性に無邪気に抱きついたりといったスキンシップをとることができなくなった。自分が異常者であることが周囲にわからないように行動には細心の注意を払うようになった。自分が女性であることを嫌悪した。願えば男性器が生えてくるのではないかと毎日神に祈りながら眠った。自分のした行為がなんであったのか正確に知るため小学校低学年から瀬戸内晴美を読み愛欲を知り、岡本かの子を読みおんなのかなしさを垣間見た。エロ本を買って男女の営みの滑稽さを目の当たりにして絶望し、卑猥語をそれとわからず使っている同級生を羨んだ。そして生理が来て、自分が女である現実からは永遠に逃れられないことをのろった。

中学生になり愛人をもち、そいつが私を自分好みに仕立てたいから選んでいることを鼻で笑いながら貢がれることの楽しさを得たりして、ああもう私は普通のコイビトなんて、と熟知した。私は汚れているのだから、こんな私でも選んでくれたのなら、絶対に拒むのをやめようと。そして16歳で31歳の男によって処女を失い、それでもオノレの性を悩みに悩んでついには精神病院に放り込まれた。家には一年のうち三ヶ月ぐらいしかいないようになり、二極性精神障害という病名が光り輝くわけです。そんな日々が長いこと続いた。死んだやつもいた。死なせたやつもいた。生き残ったのは、この私だ。

どうだ。こんな風に不幸自慢なんて誰だっていくらでもできる。100人いれば100通りの不幸があるだろう。“幸せな家族は似通っているが不幸な家族は様々である”のだから。他人の不幸なんてつまらんだろう?一読してうんざりしただろ?だから無意味なんだ。そして「自分はコレだけ差別を受けてきた」と主張している人が、他人の痛みやらなにやらにまったく無神経だったりする。ちゃんちゃらおかしい。そういう輩に限ってダブルスタンダードだと他者を攻撃したりする。ダブスタ同士仲良くやれってんだよ。相手を差別するのなら、てめえだって差別されて当然じゃねえか。自分が特別視されたいのなら、オノレのキャラを生かせよ。認められたい、ほめられたい。だったらそれなりに努力しろ。自分を変えることで『世界』を変えよ。自分の位置を変えようとせず、その努力を怠っていながら結果だけ望むとはいいとこどりで都合よすぎなのです。これでもまだあれこれ文句たれるなら、こんな話はいかがかしら。

「需要と供給なんじゃないの?」と我らが総帥はコーヒーをちゅーっとすすって淡々と言う。私わからないんだけど、と人差し指をほおにあてて夢見る乙女ポーズ。
「例えば背が小さいオトコノコならチビっこ掲示板にいってみたらどうかしら?若いうちに売らないと高い価値つかないのよあっちも」フケ専門デブ専門は知ってたけど、チビっこ専門もあるのか…なるほどゲイの世界は奥深い。「需要があるところに供給すれば悩まなくてすむのに、不思議なハナシだわ」と総帥はにっこりと。なるほどね、ありのままの君が好きだといってくれるわけだから、悩めるアナタにとってこんなに有難い話はないでしょう?そんなわけで需要のあるところへ供給すれば万事快調。そうでないのを望むならそれなりのことをせよってことでちゃんちゃん。


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需要と供給、まったくその通りだ。買い手がいないところにお店を建てるほど馬鹿なことってない。
また「平凡な幸せ」という幸せもないのよね。ダンボールハウスに住んでても世界一の幸せを感じていたりするかもしれんのです。どこにあるのかわからないキミだけの幸せ、探したいならそのスリッパの裏から世界の果てまで探すべきだ!

ところで、マイPCの中だけで遊んでいた箱庭娘じゃねーや箱入り娘だったアタシも、ちょっとネットで作品掲示したら新しい仕事が来ちゃいましたよ。なーんだアピールが足りなかっただけなの? というかアピールする場所を間違っていたのかもしれません。というわけで今年は、正しくアピールする年にするですよ!長文御免★
by (2007-02-06 12:35) 

nyack

おひさしブリでございます。
「コンプレックスを暴露する際の否定してもらいたいという裏が透けて見える」
これッスよ、テラウザス。
「うん、そうだね」って言っちゃいます。それ以上しゃべってって欲しくないから。黙る人もいますが今度は「nyackはいいよな」ってひがみ始める奴らがいます。逆効果です。重ね重ねウザイです。まさにウザさのメガマックやー
by nyack (2007-02-07 13:21) 

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