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いやなこと、ぐつぐつ煮える [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]

「彼女とは結婚していたかもしれないね」と彼はいった。

いわなくてもいいことをいってしまう癖をもつ彼にとって、その言葉はじつにニュートラルな、おそらくそれ以上でもそれ以下でもない意味合いなのだろうけど、私は痛む。そして痛むオノレを自覚し、より深く、痛む。例えその言葉の前提が「君がいなかったとしたら」だったとしても。

その女性と彼はネット上で知り合って、仲良くなって、彼曰く「ソウルメイト」だという。付き合っていたわけでも、することをした間柄でもないそうだ。そういうことはわかっていても、私は身体に鈍いものを覚える。

それにしてもなぜ私は「痛む」のだろう。どこかで「女というのはナンバーワンよりもオンリーワンであることを望むものだ」というような記述をよんだ記憶があるが、そんな男だ女だ式の紋切り型の口調にもいまの状態では素直にうなづいてしまうから、不思議だ。彼としては、私はヒエラルキーの頂点に君臨しているんだからいいんだろうという気持ちなのかもしれないけれども、それはケーキを欲しがっている子供にパンやご飯を与えるような、どこか掛け違っているように、私には思えてならない。澱のように、沈んでいく感傷は、いったいどこへ流せばいいのだろうか。

とはいえ、お前はなんだよ?という声が身体の内側から聞こえてはくる。別れた男と実家に住んで平然としているようなお前が言えた義理か?といわれればまったくもって返す言葉がない。そのとおりだ。わたしにはそもそもそんなことで「痛む」資格なんてないのだ。わかってはいるんだけど。

きっと、うらやましいんだな。

彼と彼女の関係は、私と彼がだめになってしまっても続くだろう。おそらく彼は私を「きる」ことはできても、彼女を「きる」ことはできないだろう。だからこその「ソウルメイト」「親友」であって、私が抱く割り切れなさの原因はここに由来するのかもしれない。より永続的で、信頼関係も構築されている。そのことがとてもうらやましい。私の知らない彼を知っていて、そしてその「知らない彼」を私が知ることは一生ないのだろうし。こうしてそもそも抱いている「自分の知らない/他者の人生へのうらやましさ」がふつふつと浮かんでくる。鈴木いづみは「世界に68億の人間がいるとしたら、私は68億人全員の人生を歩みたい。68億通りの人生を生きたい」なんてことを書いてたけど、私の抱く思いはこれに近い。このように考えてくると、ことはより内省的に、「自分が常に人を見上げる存在である」という自己認識とある種のルサンチマンを自覚せざるをえない。

実にフクザツで簡単な話だ。ははは。出家したい。
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