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たんたんと箇条書き日記 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]

<ひどく内省的になることもある>
鬱のときは攻撃性がウチへウチへとむかっていく。せっせと内省に励むゆえ、言及も、オノレの総括的な内容に終始することが多い。いまはそんなとき。
 
<声>
この前去年夏以来会ってない男友達と久しぶりに電話したとき「やせたね?」と開口一番言われた。声だけでわかるのか!?とビックリしたけど、声の厚みがなくなった、低く響かなくなったので痩せたんだろうと思ったそうだ。なるほど。痩せると声が高くなるという指摘は父からされたことがあるが、声だけでそんなことをいわれたのは初めてで、楽器やってる人って侮れないなと思う。そういうわけでトータル18kg減です。もう少しでマイナス20kg。目標体重まであともうひと頑張り。4月までにはなんとかしたい。でももう「調子に乗ったり」はしないよ。
 
<不安を少しずつ解消するための努力>
その友達はダーリソとの付き合いには大反対をしていたんだけれども、12月から私の身に起きた話をすると、心底ホッとしたようだ。「夏に聞いた人とは別人みたいだね」という。彼の心変わりがわからないの、というと、俺はなんとなくわかる気がするよ、と続けた。
「俺も病気をするまでは、なんでも一人でできていたから、一人で生きていくんだって思ってたけど、ああいうことになって(彼は「生還者」だった)やっぱり誰か必要なんだと実感したんだ。どん底になって、人生観変わったよ」
彼もそうなんじゃないかな、男友達はふむと言葉を切った。
「状況がよくわからないから心配だったけど、話聞くと、典型的なマリッジブルーじゃないか。もう流れに任せちゃえば、いいんじゃないの?」とその声は明るい。彼にも「春」が来そうな話を聞いたりするうちに、気持がほぐれていくのがわかった。単眼的になりがちなときは、複眼的視線を有する友達と話をするべきだ。
 
<しっと>
面白いのはいままで私が誰とでかけようが一切かまわなかった人が、「こういう状況」になってくると、アレコレ気にするようになってきた、ということだ。嫉妬は愛情の多寡ではなく、「所有」の概念にあると私は思っているのだが、またひとつその仮説が裏づけられたような。
 
<いやなもの>
腹立たしいのは、取り繕う姿勢を見せられたときだ。あれほどみっともないものはない。気にしてないよ、みたいな態度をとりながら、取り繕っているのを目の当たりにさせられると、心底ウンザリする。なにかというと、去年「面倒なこと」になった男が私に「オメデトウ」なんてぬけぬけといってきたんですよ。「どうしても好きだから結婚して欲しい」といってたことを「まるでなかったことのように」ヌケヌケと。本人に聞いたら「そんなこといってないよ」ぐらいのことはいいそう。こういう自分を取り繕うために平気で自分に嘘がつける人ってのは、いやもう、蛇蝎のごとく嫌います私は。まったくおぞましい。とはいえ、ウチの前で大泣きされてもそれはそれで困るんですが。(昔あった「まんこやらせろー」って家の前で叫ばれたことをおもいだした)
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