SSブログ

「サラバンド」 [映画レビュー※ネタバレ注意]

「サラバンド」

イングマール・ベルイマン、齢85にしてデジタル映像への挑戦。現在のところ、彼の最後の作品、といえる。横軸として家族間の愛憎(父と息子、その息子と娘、父と後妻、後妻とその娘)を置きながら、縦軸として貫いているのが「死と和解(もしくは理解)」であると私は思う。

物語はプロローグとエピローグ、それから10章の章立てで構成されている。プロローグでマリアンがたくさんの写真を机の上に並べ、自分とその元夫であるヨハンについて語る。マリアンは観客であるわれわれに語りかけるが、デジタル映像特有の奥行きのない、細部にまで明度と彩度がいきわたった画面で見ているとまるで舞台劇のようである。(ベルイマンの映画が舞台的であるというのは別にこの作品が初めてではないが)マリアンはプロローグのあと、ヨハンを尋ねる。ここでフシギなのは、マリアンがヨハンの家の中へ入っていくと、入ったとたんに扉が音をたててしまり、柱時計はなり響き、あけてあった部屋の扉もまた、ひとりでに閉まっていく。個人的にはここでマリアン=死の象徴(とそれに伴う和解の象徴かなにか、人と人をつなぐ超自然的な存在)とも思ったのだが、以降特にそのあたりを匂わせる場面はなかった。ベルイマン自身を投影させたと思しきヨハンは86歳という設定で(これはベルイマンの製作当時の年齢でもある)、ベルイマンの長年の愛人であったリブ・ウルマン演じるマリアンもやはりほぼ実年齢どおりで演じ、現実と虚構がないまぜになったまま物語は進んでいく。

近くのコテージに住むヨハンの息子ヘンリックとカリーンの父娘は、チェロ奏者であるヘンリックが、カリーンの音大受験のため、厳しい指導を続けていた。父娘の濃密な関係は、ゆえに、激しくぶつかりあう。カリーンはある日泣きながらマリアンを尋ねてくる。父への憎しみを叫ぶように語れば語るほど、見ている側としてはその裏側にある愛着へと思いを馳せずにいられない。それは、より具体的な近親相姦関係を想起させるように、この後父娘の休戦協定が行われるときも、二人が同衾する(といっても文字通りで特に性的なニュアンスはない)ベッドの上で話し合われたり、また口論をしながら思わずキスして舌を絡めあうシーンなどで暗示されたりする。

なぜ父がそのように娘を(ヨハン曰く)「ねばつく愛」で縛り付けるているのかといえば、妻アンナを二年前に亡くし、その喪失感から娘を代用品にしてしまっているからで、またカリーン自身もその依存関係に陥ることによって、喪失の痛みに耐えていた。喪失の痛みに耐えているのは「自分と似ていることに気づいてから憎むようになった」とヘンリックに対し容赦ない攻撃を加えるヨハンも同様である。あらかじめ失われた世界は閉じ環の中で成立していたのだが、マリアンという「闖入者」の存在が、彼らの関係に波紋を作り、それはヨハンとヘンリック、ヨハンとカリーン、そしてその背後に横たわる「アンナ」へも波及し、それぞれにある決断を促すこととなる。

縦軸と横軸が交差するところに「愛」が存在するとするならば、その中心にいるのが亡き「母アンナ」である。アンナはカーリンの母だけではなく、ヘンリックの、そしてヨハンの母としても存在している。(死ぬ間際にヘンリックへ送った手紙などがまさにその象徴ともいえる)引き起こされる「悲劇」は、一見救済がないように思えるが、最後、マリアンとその娘の間で行われる「交歓」によって、ひとつの救いの予感が提示される。ベルイマンが自身の老いと死を画面に投射させ色濃い晩秋の景色と喪失の痛みが作品を支配しながらも、その中から静かに響く旋律は、和解は容易ではないが、わかりあおうとすることはできる、そう「決意」することによって、人は少し歩を進めることができるのではいか、という「対話する行為それ自体の意味」ではないだろうか。

章ごとに淡々と、ほとんど登場人物のモノローグで進んでいく展開は安心して眠気を呼び込んでしまうのだが(事実、父娘の休戦シーンで音高らかにいびきをかいて安らぎの心地へと旅立っている人がいた。一緒にいった人も何度か意識を失っていたし。私は、人が意識を失うと隣にいる側もなんとなく気づくということを知った)、だからといって決して退屈な話というわけではなく(とはいえハリウッド的面白さともフランス映画的洒脱とも無縁なわけではあるが)実に興味深い内容であり、画面に漲る緊張感はさすがである。そして眠気がピークに達する頃わざわざヨハンが号泣して素っ裸となりマリアンと眠るシーンなどが用意されているなど、ベルイマンの「意地悪さ」を若干見る思いがした。(おそらく映画史上最高齢ヌードではあるまいか?しかもきっちり丁寧に「全部」うつすし)あるいはヨハンがマリアンに「あいつ(ヘンリック)は忠犬そのものだ。みてると腹を蹴り上げたくなる。これは比喩だよ」などといったりして、東欧的硬質ジョークというか面白みにかけるところが面白いというところなぞ、いかにもベルイマンという感じがする。映画として高評価!傑作!と評することは残念ながら難しいが、老いてなお自己との対話をもとめる、ベルイマンはベルイマン、ここにあり。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。