善悪の彼岸をいったりきたり [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
どうにも「肩こり」がとれないでいる。
もちろんこれは比喩で、ニートのためデスクワークもせず暢気にトレーニングばかりしているせいか、肩甲骨まわりの筋肉が立派に成長しくさっても、肩がこってつらいわぁという悩みはない。乳ゆえの肩こりはもう生来のものだからこれはあきらめている。閑話休題。
そういうわけで軽かろうが重かろうが脳髄のみっしりさ具合にかかわらずできるなら神輿を担げるような身分になりたいけれども、そうそうそんなこともなく、日々くだらん悩みの中を鬱屈としているだけだったりする。朝、目が覚めて靴を履いて歩く、だからモーニングブルース。そんな感じ。
私はといえば目が覚めて靴を履いて歩くよりも前に、現在日課としていることがある。それは「Sin City」のエピソード2『ビッグ・ファット・キル』の、とくにデヴォン青木ふんする「殺人機械ミホ」が存分に暴れまわるシーンだ。DVDをMacにいれ、スタート。ガウン風の怪しい服をざっくり色気を省いて着たデヴォン青木が、ふてぶてしいぐらいの面構えで日本刀を操りザックザックと皆殺しにしていく。まさに殺して殺して殺しまくる。んでこういう場面を嬉々としてみながら「鶏のマスタード煮の鶏手羽元はスペアリブに変えて作れないものかしらん」と心中練り上げていたりする。いろんな意味でヤヴァイとは思うがあまり気にしない。鬱々とした霧深きどうでもよい悩みの渦中にいるときには、こういう劇薬のような映画がどうしても必要となる。「肩こり」から逃れるために必要悪なのだ。
もうひとつ。私がこの映画を必要とするのは、「こうでありたい」と願う理想像が具現化されているから。私は男にとって、ロザリオ・ドーソンが演じた『ゲイル』のように、ある種のワルキューレとして存在したい。エゲリアとして、ダンテにおけるベアトリーチェなんて、ハナから諦めている。ヒトにはそれぞれ領分があるわけだし。だから私はワルキューレになりたい。甲斐性のない男の脳髄を銃で吹っ飛ばすような、力強い存在としての。
今日も目が覚めて。こうして「Sin city」を見ている。この作業を行わずにすむ日が早く来てくれることを願いつつ。
我他彼此見。
建付けがガタピシしてきたら、取りあえずツバちゃう蝋を塗るとか、
季節が変わってお湿り具合ちゃう湿度が変わるのをマッタリ。。噫。
by 歩 (2006-09-24 15:41)
湿るような思いをしてみたいなあ。このごろ、とんとご無沙汰なモノで。
by 瑠璃子 (2006-09-25 23:38)