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ミギもヒダリも世知辛い世の中じゃござんせんか。 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

こちらのエントリーを読んでいて、そういえばこのエントリーに対する記事を書いていたが下書きに入れっぱなしにしておいたことに気がついた。今回、こういう出来事もあり、ちょうどよい機会なのでひっぱりだすことにした。ネタ切れだったのでまんまと食いついたということは内緒だ。

私とこの方とは、ある政治的な事柄に対してとる立場も見方も相違している場合が多い。ただそれはある資料を基にしたとき、どういう解釈をとるかという違いであるような気がする。そこをどう評価するかは立場の違いに過ぎないので、さほど問題視はしない。むしろそういう見方をするのか、と勉強になることも多い。たとえば、「戦中における朝鮮人の強制連行」という問題がある。私は「強制連行があった」とする資料が少なくても自分が調べた限りでは見つけることが出来なかった。ゆえに「あった」とするには懐疑的な立場をとっている。ただ同様に「なかった」とする資料もない(調べた限りでは見つからなかった)ので、ゆえに「なかった」とするのに対して懐疑的な立場をとる、ということもありえる。可能性において二つ選択できる場合、どちらの立場に身をおいても、蓋然性が生じる限りは、お互いの立場に対し一定の理解をもちうることができる。自分が「A」という事象に対し「B」と考えたのなら、まったく同じ条件で「B'」と考えることが出来ることを想像する。そしてその立場に対し理解を示す。武士道ってそういうことじゃないのかね。それは知による寛容であり、無知による不寛容の対極ではないのだろうか。ルワンダだけではなく世界で起きている宗教生活様式の違いによる争いを防ぐ手立てではないだろうか。

以上、これはあくまでも資料が的確と自分で調べて得心した場合を踏まえている。問題なのは、資料の解釈の差ということではない場合だ。まったくの捏造資料を提出されたとしたら、元となる前提条件が間違っているのだからどうしようもない。例を出すならば、以前とりあげた沖縄を守れFlashがそれに該当する。近々の例ならば、民主党の堀江メールも同様だろう。資料がある、ソースがある、提示されればそれを自分なりに調べる。自分なりに答えを出す。そしてデマ煽動捏造誹謗中傷には毅然として間違いを指摘する。それが「事象について考える」ことを選択したものの矜持であると私は考えている。

そして付け加えるならば、個々の事例に対して是か非かで考え続けることも必要である。こいつはサヨクだからダメだ、とかこいつはウヨクだからダメだ、○○のいうことだから正しい「はず」だ、としてしまえば(そしてその資料を精査することを怠れば)単なる思考停止状態に過ぎない。左だろうか右だろうか、上だろうか下だろうが、個々の事例に対する資料記述発言をもって判断している。個々の事例について是か非かをいちいち考えていくのは激しくめんどくさいし(なぜなら今日正論を書き綴った人が、明日そうであるという保証はないから)、資料の反証、反証に対する反証…と繰り返していけばキリがない。だが、その努力を怠ってしまえば、前述のように信者盲信といった段階へいくしかない。(これは自戒も含めている)

ちなみにいえば、この右翼と左翼というある種の思想体系を言い表す言葉についてだが、私は、ちょっと読んだだけで右翼だの左翼だのと言い切れるほど勉強してはいないので、基本的にそのあたりには触れないようにしている。ネタとしていうときはあるが。あとたまに登場するトモダチの右翼という子は、最初に会ったとき本人の口から「右翼活動をしている」という申告があったので、そう呼称している。そんな華麗なる自己紹介をした本人は最近そう呼ぶと「一緒にするな」と非常に嫌がっていることは付け加えておく。だから、他者の文章を読んで右翼左翼と称している方をみると(ネタ的に利用している方はさておき)、ああこの人は政治思想について相当勉強された方なんだなとひたすら感心する。私も負けないようにしっかり勉強しなければならない。閑話休題。

先ごろ、私の年若い友人が一年間のオーストラリア遊学から戻ってきた。

彼は海外に行くのは初めてで、新鮮さを味わいたいと、事前にオーストラリアの情報はまったく入れずに渡豪していった。むろん英語もろくに話せない状態で、現地で仕事しながら語学学校に通うといっていた。久しぶりに彼と会い、どうだった?とたずねると、ひとしきり豪州のよさを語った後、日本はダメだねといいだした。私はひさすらがっくりした。
「つーかどのあたりがダメなんよ?」
「いやあ向こうはさ、なんでも自由で気楽で、人にあってもすぐやあって話しかけるけど、日本はそんなことないじゃん?仕事でもすぐ助け合うし…。日本は金儲けだけに一生懸命で、政府の上のヤツが儲けを独占して」云々。
したらば、と話をしてみる。日本がどういう状態だったらダメじゃないわけ?
「そうだなあ。昔の武士、おさむらいさんとか…」
ああそう、と私は引き継ぐ。そうか、じゃあ武士道ってどういうものなの?彼は首を振る。知らない。えっと知らないのに、武士がいいとかいってるの?せめて新渡戸稲造の武士道精神ぐらい読んだら?と言っても、はかばかしい答えが返ってこない。そんなら、日本政府がどういう風に搾取しているの?と尋ねても、えーそりゃ…と要領を得ない。とりあえず彼には小一時間説教(オヤジの特権です)したわけだが、その話の半分ぐらいを「配合」について語ってみた。人間はいいこともするし悪いこともするといったのは池波正太郎だが、ではどれくらいの割合で「いい」と「悪い」が混じっているのか、どこがよくてなにが悪いのか。その「配合」である。

つまり一方的に悪いだのいいだの言い切ってしまうのは単にアタマの回路を切り捨てた証左にすぎない。同じ思いを実は年頭の「朝まで生テレビ」で感じた。ハードゲイこと村田晃嗣センセイが田原総一朗に小泉政権の是非を問われ、いいところもあるし悪いところをある、その相対…ぐらいまで話しかけたところでいきなり田原はさえぎって例の大声をだす。だからいいの?悪いの?どっちのなの?村田センセイは理解できないようで、いやですからいいところもあるし悪いところも…と言いかけたら田原は鼻で笑いながら「学者の見方なんてそんなもんか」と言った。この男は昔から政治ショーの漫談家に過ぎないと思っていたが、ここまで酷いとはと暗然とした。そして村田センセイの誠実な学問の姿勢が伺えた。大事なのはそういうことだ。

ある事象に対し、いい悪いと態度を振ってしまうのは楽だし、わかりやすい。だがそれはその事象の蓋然性を切り捨てることでもある。論理的ではない。事象のいい悪い、是々非々を自分で見極め座標軸において相対化し、割合を考え、その上で立場を決定するのが冷静かつ論理的な態度というものである。安直に二極化して割り振った二項対立の話にすることはなんの発展性もなく、事象について考える意味もなくしてしまう行為だ。白と黒ではなく、白の中に何割の黒がまじっているのか、あるいは黒の中の白の割合を考えることが畢竟枢要であると私は思う。

上記のような手立てを放棄するならば、それは自分と自分の周囲イコール世界の代表集合無意識の象徴という短絡的な惑星直列に過ぎず、まさしく唯一神への近道である。私は唯一神を名乗れるような大物ではないので、小物は小物らしく、自分と世界を相対化し、起きた事例、目の前にある資料を精査し地道に考えていきたいとおもっている。


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クロヒコ

「配合」の部分に対して特に感銘を受けました。
自分は探究心やら知的好奇心やらといったものに終わりは無いし、そうやって集めた知識なり理解なりといったものを他人の悪口に使うのは基本的につまらないと思ってます。
知識なり理解なりといったものを身につけていくうちに、自分の立ち位置が少しずつ変わっていくのが面白いんじゃないかと。同じ本を読んでもあの時と読後感が違うな、とか。
だから、様々な意見に対して「好き・嫌い」でふるいにかけて一直線に否定肯定するのではなく、その意見の中になにか得るものはあるか、また自分の意見とどこがどう違うのかと、心中でバランスを取りながら考えるようにしています。
とりあえずその都度流されずに「他所は他所、ウチはウチ」というスタンスを保つ意志と、でもやっぱり隣の家の芝生を積極的に覗いてみるお茶目さをいつまでも持ち続けたいかな~、と。
第一、何事も二者択一って味気ない。
同じ時間の使い方でも、なんかもったいない気がするんですわ。

とはいえ、自分は根本的本質的決定的にへたれなんで、何事も断定なんて出来ないだけなんですが。。。
なんか思うに任せた乱文になってしまいました。
ご容赦くださいm(__)m
by クロヒコ (2006-02-27 22:06) 

アキオ

田原ナントケ氏の聞きたい事って
「まともな分析結果の良し悪し」じゃないんですよね。
分析すれば、どんな事でも玉石混合。。
沖縄にしても、政府は現状維持と、その現状維持のためのリスク、コレを考えて
良しとしているわけで、、それに対して、ヨシの部分はわかるけれど
リスクを一部に背負わせて、あとは、知らん顔ってのはどうよ、、とはいえるけど
「あれはいいの?わるいの?」と聞かれると、リスク面をどうにかしようよ
と思ってるオイラは、、答えに窮するだろうな、、w

と言う事を考えていたのですが(すれ違いになりつつありますが)
田原のおっちゃんはこういう風に聞くべき、、と言うのは見えた。
あやつはきっと
「いいの?悪いの?」と聞いてるが、じつは「すきなの? きらいなの?」
と、聞いてるだけじゃなかろうか、と。
日本語の使い方が違ってるけど、でも、ストレートに聞くと
「政治を語るべき奴じゃない」とばれるのも困るから
あれでいってるんだろうな〜〜〜、なんて思う訳ですわん。。
by アキオ (2006-02-28 00:39) 

ガワ氏

「資料がある、ソースがある、提示されればそれを自分なりに調べる。自分なりに答えを出す。そしてデマ煽動捏造誹謗中傷には毅然として間違いを指摘する。それが「事象について考える」ことを選択したものの矜持であると私は考えている。」

この部分に、非常に強く共感します。と同時に胸の奥にグサリと突き刺さる。ブログなぞを始めたばかりに修羅の道に迷い込んだようですわい。後悔はしてませんけど。
by ガワ氏 (2006-02-28 05:35) 

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