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「正しい歴史認識が必要だ」 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

マスメディアの中で全身の力をふりしぼって断言している人がいた。
でも正しい歴史なんて存在するのだろうか。

あるとするならばそれは誰が定めたのだろうか。親か?教師か?宗教家か?政府か?何故自分は正しいと思ったのか。どうやってその正しさを確かめたのか。本に書いてあったなら、その本の記述は本当に正しいか自分なりに調べたのか。誰かの言葉ならそれが正しいか考えたことはないのか。またその正しさを立証するものはなんなのか。

そう考えていくと、結局は自分が正しいと「思う」歴史しか存在しないことになるのではないだろうか。それは「正しい歴史認識」とは似て非なるものだ。なぜなら自分と他者とは(当然のことながら)違う人間なので同じ考えを共有することはほとんど不可能だ。そもそも同じような生育風土にいないと(水に対する認識がアラブと日本で全く違うように)難しいだろう。反証することができない(許されない)調査することもできない『正しい歴史』を喧伝されたとて、それは単なるプロパガンダに過ぎない。民主国家になればなるほど違う意見が存在し、互いの自由を認め合う。結局は自分なりの歴史観というものをきちんと調べて考えて構築するしかないと私は思う。人から聞いたのではなく自分で調べたから正しいと思わなければ、それは正しいと“自分なりに構築した”歴史ではなく単にお仕着せに過ぎないのではないだろうか。

本に書いてあることはすべて正しいからそれでいいって?でもねえ常々いうようにマトリックスはいつも我々を見ているのだから。そんなこといってると、ふと気づいたら自分の横に、ビックブラザーのポスターが貼ってあったりするかもしれないよ。


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へー八郎

お邪魔することがなかなかできずスミマセンm(__)m
さて一連の記事ですが、まさに渾身の力作という感じでしょうか。
極めて重要且つ意義深いテーマに切り込む姿勢に心打たれます。
わたくしも「先ず正しい認識」「客観的な事実関係の把握」という点からスタートすべきであると思います。その上で反省すべきは反省し、逆に反省を促すべきは促すということを冷静に進めるべきであると考える次第です。表層的な感情論に流されると極めて危険な議論になりかねない点を懸念しております。
因みに日頃キアヌと呼ばれているわたくしは最近サングラスをどこかに置き忘れたらしく、すれ違う人々から「あ、キアヌとは似ても似つかない」といわれて困っています(笑)
by へー八郎 (2005-08-16 01:37) 

こじーま

会社のおやすみが10暦日もあって、休みボケ、あしたから出勤、夜更かし朝寝坊で寝られない!!どうしましょう。
さて。「正しい歴史認識」というのは煎じ詰めればないとしかいえないでしょう。
勝った負けたは事実として残ってますから、演繹的に詰めていくか、現場現場で弁証法的に積み上げていくか?それにしても、ひとの世の、まして国民レベルでの集積のおはなしですから、外交上それぞれの立場で永遠に綱引きせざるを得ないでしょうし、それぞれの国民にも主義立場で持って生きたい方向があるでしょう。ただ、そのとき、中長期的観点において(すいませんねえ、不動産仲介、不動産投資、アセットマネジメントなんて泥臭い生業なもんで、ついこういう胡散臭い表現になってしまって)軸がぶれないようにするため、自分のアイデンティティのためにも、やっぱり演繹・弁証・両面から自分としての歴史観はいるかも。
罰当たりなことをいっちゃえば、歴史観とか、日常的には不要かもしれませんが、軸がぶれない、つねにぶれないようにすることはものすごく大事なんです、仕事でも、人生でも。で、そのためには、意外なことに歴史とか大事です。私の意見ですけど。
あと、言わずもがなですが、瑠璃子さんはとっくにご存知の上でしょうが、本なんて、ホントに玉石混交。クソパルプも山ほどあります。基本信じちゃいけません。疑ってかかれ。
by こじーま (2005-08-16 02:35) 

こじーま

あっそうそう、なんか自分の立場もきちんと表明せずにかっこつけてニュートラルなことだけいっちゃったので、わたしの立場として、「ビバ!渋澤榮一と白洲次郎!!」としておきますね。
by こじーま (2005-08-16 02:42) 

サテ・コノツギハ

「面白い」とかと同様に…
「正しい」というのは
「自分にとって正しい」の略です、たたたぶん。
by サテ・コノツギハ (2005-08-16 09:03) 

ago-waki

「正しい歴史認識」・・・う~ん、確かに難しいですねぇ。
でも、歴史の当事者ではない第三者が、客観的に起こったことを記すことに専念すれば、「正しい歴史認識」というか、それに近いものができるんじゃないかな~なんて思います。
でも・・・人間は感情の生き物であって、起こったことを的確に正確に客観的に記すことなんてできないんでしょうねぇ。
ドラゴンランス戦記というファンタジー小説に、起こったことを客観的に事実だけを記す歴史家という人物がいましたけど・・・。

ところで、話は変わりますが・・・「ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」って、スネークマンショーですか?(笑)
by ago-waki (2005-08-16 11:27) 

ご意見、サンクスです。
この記事にTBさせて頂き、新たに記事作成しました。
よろぴこです。<(_ _)>
by (2005-08-16 12:24) 

アキオ

主観的な歴史と、客観的な歴史、

誰が、誰の目から見た歴史を語るか、、伝えて行くか、
ホントに考えると、難しい事ですね。
by アキオ (2005-08-16 12:32) 

ちょっと違うかもだけど
同じ敗戦国の日本とドイツの違いとして
ドイツは民族性からか?
数々の公文書を大切に保管していたそうな…。
それが、自分たちに不利になることだろうと
有利になることだろうと…。
だから、かなり客観的に
解析したりすることができるそうな。
戦時下では、そういう方が珍しいと思った次第。

歴史の検証や解析って、とっても難しいらしいよね。
ちょっと考えちゃうよん。
良い機会、ありがとうなのん♪(*^ー^*)
by (2005-08-16 13:40) 

ken

『どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分。自分の言い分。そして真実。誰もウソなどついていない。共通の記憶は微妙に異なる』
これに尽きると思います。
ちなみに、ロバート・エヴァンスの言葉です。詳しくはTBで。
by ken (2005-08-16 14:49) 

ichiro

歴史は見る方向によってずいぶん風景が違いますよね。。。
客観的な事実をしりたいなあと強く思います。。
by ichiro (2005-08-16 22:09) 

オサルノカゴヤ

大学の民俗誌実習で調査&レポートを書いたときに
すべての記述は書いた者の主観が入るモノだと気づきました。
事実はどんな立場の人が見るかによって変わる。
歴史認識に正しいもなにも・・・って思います。
by オサルノカゴヤ (2005-08-16 22:20) 

瑠璃子

レスが遅くなり、大変申し訳ありません。皆様、コメント、ならびにnice!、誠にありがとう御座います。多謝。

>へー八郎氏
こちらこそ、へー八郎氏のブログ記事、ロムるだけで誠に申し訳ないです。美味そうなんすけどねw
個人的には正しい歴史認識なんてない、と思っているですよ。正しい歴史認識とはなにか?について考えることは非常に大事だと思いますが。そして「表層的な感情論に流されると極めて危険な議論になりかねない」についてはもう、まったくもってその通りです。本質はなにか?を考えていくべきですね。うん。よいお話しをありがとう御座います。
しかしキアヌですか…。キヌアっていう穀物がありましたねwまあそんなこんなで過去ビヨークに似てるといわれたのが未だに褒められたのかどうなのかがわからない今日この頃ですw

>こじーま氏
さすがっすね。こじーま氏。うんその通りです。うん。歴史とかルーツについて考えること、コレ実は非常に大事で、それは自分とはなにか、を知る作業なんですよね。アタシは自分探しとかいってどっか行くぐらいならこういう作業のほうがよっぽど自分探しだと思うんですよね。どっかいって見つかるなら苦労しないって。
大事なのはおっしゃられる「演繹・弁証・両面から自分としての歴史観はいるかも。」をどう自分の中で育てていくかってことですよね。偏った情報ばかり集めちゃいけない。これは自戒を込めてなんですけど。
そして本なんて極論すれば騙すために書いているんじゃないかなって最近思うのです。本に書いてあることを鵜呑みにするのって物凄い危険ですよね。あとはネットの情報とか。こういう歴史的な問題って突き詰めると当時の新聞を読みあさるとかしないとつかめてこない部分が多々あります。当時の尺度で考えなきゃいけない部分も多いし。今に当てはめるから変なことになっているな、と感じるところも多いですよ。当時の状況を把握した上で、じゃあどうすべきだったのかを「演繹・弁証・両面から」考えていく。コレ重要です。ちなみに白州夫妻は私のヒーローですw

>サテ・コノツギハさま
はじめまして。ようこそお越しくださいました。

>「自分にとって正しい」の略です、たたたぶん。

これにはハゲドウです。そしてそれを略している自覚のないひとが結構な数でいるような気がします…。
またいらしてくださいませ。

>しゃくれアゴ氏
あ、そうです。これはスネークマンショーです。私、どうにも好きなんですよw。
客観的に起きたことを書くのはかなり難しいですね。だからもう読む方が割り引いて考えていくしかないのかもしれません。難しいっすよね…。反証できない、政府の言うことを疑ってはいけない国の語る「正しい歴史認識」これってなんだろうなあと考えてみたり。

>うずまき氏
いえいえこちらこそ。こういう意見交換が出来ると私も少し賢くなった気がします。感謝多謝。

>アキオ氏
難しいですよ。歴史は。だから安易に正しい歴史認識を、なんてことは私には言えません。歴史について自分なりに考えていくことしかできない。一面で見ちゃいけないっすね…。

>ひかりこ氏
ドイツ人は几帳面だからなァ(偏見まるだし)とっておいたからこそ語れることもあるでしょうね。しかしいまナチズムにも匹敵する行為が行われているのに、まるっきり日本じゃ報道されてないのが非常に不可解ですのぅ。
歴史の検証なんてホント大変みたいっすね。政治的なことヌキで語れないし。しかしそういう前提ヌキになっちゃったからノストラダムスは大予言者になってしまったりしてねw

>ken氏
けだし名言ですねその御言葉。
誰にとっても真実なんですよね。それをどう考えていくか。それに尽きる気がしてきました。

>ichiro氏
客観的な事実に限ってものすごく苦労しなきゃその一端も手に入らなかったりするんですよね。それをどう自分の中で切れ端をつなぎ合わせていくか。トンデモ理論にもなるし、新しい発見にもなる…。難しいですね…。

>オサルノカゴヤ氏
そうなんですよ。記述には主観が入り、その主観をどう証明していくのか。
歴史認識は「自分にとって」正しいものしかないんだな…と思ってます。

みなさま、ご意見ありがとう!勉強になりました!
by 瑠璃子 (2005-08-20 04:41) 

zer0zer00

「正しい歴史認識」は正確ではないでしょう。
史実としての歴史は間違いなく存在するが、その歴史の解釈は複数存在するんじゃないでしょうか...
by zer0zer00 (2005-09-01 04:04) 

zer0zer00さま>
TB記事にコメント残しておきました。参考にしていただければ…と存じまする。

瑠璃子さま>
人様の記事をお借りして、スマソm(_ _)m
by (2005-09-01 16:36) 

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