やりまくりとイキまくりでは似ているようでまったく違う [みちゃイヤン☆(エロ濃厚)]
と勢い込んでみたところで、まあ相手は不在なのです。こんなヤル気がふたたびみなぎるのはおそらく100万年後だと思うので、せいぜい目の前でセンズリかいてもらうことにしますわ☆男のセンズリみるのはうれしいたのしい大好き!
…しばらくリビドーが正常に解消されてないので発狂してます。すんません。
結論から言えば、私はやりまくりでもイキまくりでもない。
娼婦になりたいとは、多くの女性が抱く思い(実現するしないにかかわらず)ではないかと思うが、「思う」のと「実行する」の間にはかなりの溝がある。
なんだか今までの話を読んでいるとかなり「お盛ん」なオンナという気もするけれど。ただ濃いメンツにあっているだけで、 通り過ぎた男たちの数はそんなに多くない(と思う)。ナン代目かの男なんて、6年ほどのご一緒生活において合計3回ぐらいしかセックスしてなかったりするし。
正直、イキまくりにはあこがれる。愛読書「SM秘小説」には“直哉さんっッッッッ…嗚呼もう駄目、許してくださいぃ…晴香は晴香は、もう…”(なぜかヒロインが自分の名前を一人称にしていることが多いんだよなあ)“晴香、本当はまだまだイキたりないんだろう、お前のようなメス淫乱がこの程度で満足するはずがないっ。ククク…”(おとこのスケベ笑いは必須)みたいな展開がループしているので、あらーこんなふうになりたいわねー、と。(割と棒読み)
それはおいておいて、とにかく女として生まれたならば、おまんこの快楽、キリがないと俗に言われるめくるめく愉悦ってヤツを経験してみたい。そのためにはとにかくやりまくり、相性のイイおとこを探すしかないだろうか。出会い系でもテレクラ(っていまあるのかよ)でもがんがん試して、どんな攻撃も受けきるッッッッ(←またバキネタでスマソ)の覚悟で望めばそういう思いを味わえるのだろうか。
しかしねえ。
もう数を打って、いいちんぽ当てようなんて博打したくはない。
年食ったら一食一食が大事になるというのと同じで(人生で食事できる回数は決まっている、が私の座右の銘)気のあった人間と気合と濃度が最高に高まったセックスができればそれでよいのだ。悦楽に興じるのは二の次でもいい。
好きな男としたい。どうでもいい男と「すきかどうか試すために」セックスするような無駄遣いはもうしたくない。
だけれども。
あああんなのもう一度したいな、と思い出すセックスといえば。
確かあれはチャットでみつくろった男だったと思う。
いいバイクに乗っている、それだけで選んだ。そいつのバイクのケツにのせてもらい、走りながら相手の股間をまさぐって。そのおとこはそんなに好きではなかったけれど、それだけで子宮から熱いものが途切れることなくしたたり落ちてきたものだ。男もかなり硬くなり、アタシはジーンズからひっぱりだしてシゴこうとしたけど、駄目だった。その代わり即ラブホへ連れ込まれ。おもちゃでいじくられながら、ちんぽをしゃぶりつくし、入れられハメられ、かなりみっちりと濃いセックスになった。「ここがいいんだろ?これ、なんだよ、いってみろよ」「ええ…そんな…」なんていうベタな会話も、シチュエーションにノせられたままなら、違和感を感じないこともわかった。
かなり昔のことだけど、思い出すだけでまた子宮がうずいてくる。誰かアタシをダンデムシートへ乗っけてくれないかな。
今なら熱いちんぽを思いっきりすすりあげてあげるのに、なんて考えてしまうと。
行きずりにするセックスも、たまにはいいかもしれない。
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