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恋愛の成就とはつまり地獄へ堕ちることなのだ その1 [音楽レビュー]

君の胸にメスを入れて 裂いて開いて にくい悪魔 つかみ出した、と唄い出すのは「君が欲しい」だが、恋愛の成就とは果たして天国の扉を叩くことなのか。藤本卓也は明快に否定する。なぜなら「地獄の底へ 落ちる私を なにも言わずに ほほえむあなた」なのだから。到達と同時に凋落がはじまるものならば、恋愛の成就はそこからいかに「愛の死」への時間を引き伸ばすか、もしくは家族の創出という弁証法的な発展とみせた論理のすり替え(とあえていうならば)または別形態への変容を粛々と受け入れるか。

藤本卓也はいつだってその問題には実に明確なのだ。天国へ上る不安よりも、地獄へ落ちた安寧を選ぶ。例えば名曲「休ませて」では“あなたがいるからダメになる”とわかっていながらも“あなたと別れたら生きていけない”。どっちなんだよ!と突っ込みを入れては「負け」なのだ。勝負を挑まれているものとしては、そんな安易な逃げでは背中を見せただけに他ならない。後ろから乱打をあびるだけだ。この勝敗なき試合において真正面から剛速球を受け止める。それだけがつまり正しい対処方法といえる。

それにしてもこの矢吹健はいったいどうしたものだろうか。若干19歳にして、この、酸いも甘いも併せ呑んで吹き散らかしたような歌い方は。例えば16ぐらいで結婚して子供生んで離婚して、いまや脱色した髪がからまってゴワゴワしているようなスレたのともまた違う、場末のスナックで銀座か新地から流れたような皺の深さと年齢が微妙にずれているようなママがじろりとにらんで「アタシもいろいろあったのよ…」ととわずがたりに話し出すようなネンキが入った様子ともまた違う、どうしようもないヒモにひっかかり、ソープで働かされた挙句、妊娠し、面倒になったヒモに殺され、山中に埋められたにもかかわらず再び蘇り、ヒモのところへ会いにいくが、また殺され、埋められてしまい、また…というようなある種のしつこさ、そこから生まれる奇妙なおかしさ、諦念と絶望と、だからこそわきあがる希望、そういう人間の本質的な部分の具現化をしているのだ。藤本卓也+矢吹健は。君が好きで~なんて甘っちょろい隙間風がシンニュウすることを許さない、愛したら、愛されるか死ぬか、その極限な二択をせまられる理不尽さ。相手のせいで不幸になるのではなく、自分であるがゆえに不幸なのだ、という宿命的な諦観に満ちている。そういう意味で奇跡的な位置に、藤本卓也と矢吹健はたたずんでいる。がけの上から下界を静かにみつめるように。矢吹健の怨力とでもいえばいいのか、どす黒くしかし激情とあきらめが同居した声というよりも音と表現したいその歌は、地獄から天へまっすぐ吹き抜ける暴風のようだ。歌をうたうためにボイストレーニングよりも山にこもって木霊と戦うほうを選択しなければ、この音は生まれない。そういう類のものである。

この歌が生まれた60年代は「劇的な瞬間には全ての真実があらわになる」といわれ信じられた。この歌がヒットし、当たり前のように受け入れられていた70年代は、60年代の余波が残りつつ、実に静かなあきらめの風景がひろがる時代だったと思う。80年代は、反動ゆえかそれらを笑い飛ばし、ネタとして嘲笑う時代だったのではないか。いまこうして矢吹健の歌を聞く。この中に流れる熱くて苦しい、その苦しみを稀有なものとして評価できるほどわれわれは成熟したと信じたい。

それでは「真っ赤な夜のブルース」のレビューで御座います。かなり量があるので前後編とさせてください。

幻の名盤解放歌集 テイチク編 藤本卓也作品集・真赤な夜のブルース

幻の名盤解放歌集 テイチク編 藤本卓也作品集・真赤な夜のブルース

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1993/12/25
  • メディア: CD


1、あなたのブルース 矢吹健
大ヒット曲。この19歳とは思えない、森進一がいかに薄口かがよくわかる泣き節を聞け!森進一ほど洗練されていないが、迫力と気迫と怨力で遥かに凌駕しております。しかし後のラーメンの背脂にも似た中毒症状を起こす矢吹節にはこれでもまだまだ。

2、真っ赤な夜のブルース
夜は黒ではなく真っ赤。真っ赤な夜にたたずむ彼の周りにはピンスポがどす黒くふちどり、常人には目視できない有様。

3、断絶のブルース  佐久間浩二
矢吹ほどのぐっちょりした粘着性はないけれど、その分たっぷりとよく伸ばしましたというところか。伸ばした部分が絡みつく。シタールと青森なまりが絡み合い極楽めぐり地獄逝き。

4、忘れさせて 市川好朗
矢吹佐久間には到底及ばぬまでもまあ及第点といった歌唱法。「アアーン」という謎の女性声が入る。謎のあえぎ声ときそうように「あたしを いじめて いじぃめぇてぇええええええ~」と物凄いアレな声が。うなされそう。

5、蒸発のブルース 矢吹健
「あなたなぁしぃじゃ~、だぁああめぇええぇええ」とのっけからダメだしをされる。しかしこのような出で立ちで迫られたら男は去勢するしかないだろうな、と思うド迫力。単体で聞くとかなり濃いが、この中の曲では薄く感じる。藤本卓也の「夜のワーグナー」ワールドには脱帽ではなく脱毛。

6、まぼろしのブルース 佐久間浩二
大傑作にして大名曲。全人類が聴くべき歌。「できるかな?」のゴン太声(クィーカ)が盛んにウッホホウッホと鳴ってます。至上の愛は天国ではなく地獄へいくことにあると明言している作品。訛りの残る歌声が野趣あふれ、かえって“おんなのなげき”を直截に表現できているのが不思議だ。個人的には勝彩也よりもこちらが好き。


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ほんとにほんとにほんとにほんとにライオンだーーの歌を [音楽レビュー]

和田アキ子が唄っていると思っている人はさすがにいないと思うが。(例の富士サファリパークの歌)
正解は串田アキラでございます。(↓下の画像がなにげに和田アキ子に似ているのがイイ!っすね)おもにアニソンことアニメソングを唄ってますな。もちろん名盤解放箱にて特集されております。濃ゆいねえしかし。

幻の名盤解放歌集 Toshiba編 串田アキラの爆発するソウル歌謡 からっぽの青春

幻の名盤解放歌集 Toshiba編 串田アキラの爆発するソウル歌謡 からっぽの青春

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1994/09/25
  • メディア: CD

しかしこの名盤解放箱。なんといってもオススメは愛欲情念フルスロットル殺し合う男女の情慾の絡み合いじゃんじゃんばりばりの藤本卓也先生特集「真っ赤な夜のブルース」

幻の名盤解放歌集 テイチク編 藤本卓也作品集・真赤な夜のブルース

幻の名盤解放歌集 テイチク編 藤本卓也作品集・真赤な夜のブルース

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1993/12/25
  • メディア: CD


まぼろしのブルースの一節…`地獄の底へ 落ちる私を なにも言わずに ほほえむあなた`に脊髄を素手でつかまれたような思いを味わう。つかまれたところになぜかウッホウッホウホホホと「できるかな」のごん太くんのような音がかぶさる。思わずのけ反った瞬間、狙いすましたかのように切り込まれる、身体を裏返さんばかりの絶唱。あとは滂沱の涙のみ。正直、ここまで名盤解放箱がすさまじいものだとは思わなかった。歌に息の根をとめられそうになったのはハジメテ。ノックダウン中。
しばらく聞いていたら中毒症状のようになり、聞かずにはいられなくなりました。元の体に戻してください。なんだかヘロインのように依存性が高い夜のワーグナー、それが藤本卓也ワールドなのだ。


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醜女狩りのすンごい世界(まあ馬鹿なんですよ所詮わたしなぞ。) [音楽レビュー]

幻の名盤解放箱

幻の名盤解放箱

  • アーティスト: リード
  • 出版社/メーカー: Pヴァイン・レコード
  • 発売日: 2005/02/18
  • メディア: CD
あーあ、買っちゃったよ。名盤解放箱。シンボルロックとか四次元歌謡とかが満載なわけです。このテが好きな方なら垂涎のシロモノ。ほとんどの人には屑だと思うのですが、だが勝新流にいうなら無駄の中に宝があるわけです。3万つかってシンボルロック。でもやるんだよ!と。まあ信者なんでその辺はひとつ。機会があればご紹介いたしまする。

醜女狩り

醜女狩り

  • アーティスト: 芝紀美子
  • 出版社/メーカー: SHOWBOAT
  • 発売日: 2000/07/15
  • メディア: CD

 

 

幻の名盤解放歌集Trio編/愛のイエスタデイ

幻の名盤解放歌集Trio編/愛のイエスタデイ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Pヴァイン・レコード
  • 発売日: 2000/03/25
  • メディア: CD
さっそく聞きましたよ。まあ充実のラインナップ。五臓六腑を絞り出し口から脳髄をはき出す勢いで「休ませてくれーーー」と叫ぶ絶唱「休ませて」とか。その中でも現段階でのイチオシは「醜女狩り」芝紀美子氏でございます。
http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1000188/listen.html←ここのリンク先で「醜女狩り」が視聴できます!!とにかく聴いてみてください!!!お願いですってデムパだな)
“醜女の村出身の醜女が醜女まんじゅうとか食うのをやめて美女になるが、惚れた男は醜女の方がいいので醜い女に戻り幸せになる”というかなりぶっ飛んだというかなんというか。意味不明ではあります。しかし和田アキ子をリズム感よくしてセンスとテクを底上げしたようなボーカルが無意味なくらいファンクなオケと実にマッチし、ものすごいグルーヴを醸し出してます。歌詞もスゴイが歌の間にはさまれるセリフもスゴイ。「醜女の皆さん元気ですか?下ばっかりむいてちゃダメですよ。なにもいいことはありませんほらアタシをご覧なさい。どうどうと胸はって歩いていきましょう。そうすればきっとなんかいいことありますよ♪」とまさに私のためにあるような口説でございます。ああ私はこれで生きていけますありがとう。芝紀美子氏は1975年この「醜女狩り」のアルバムでデビューし、77年に「ジプシー・レディー」をだしたあと消えたそうです。だが現在はこんな風に歌のデリバリをしているようです。ううーん。目の前で聞いてみたい醜女狩り。
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TENGOKU KARA KAMINARI [音楽レビュー]

E Ala E

E Ala E

  • アーティスト: Israel Kamakawiwo'ole
  • 出版社/メーカー: Big Boy
  • 発売日: 1995/03/14
  • メディア: CD
  • 非常に哀切な、`ハワイの勇士・曙、武蔵丸、小錦(現konishiki)`への賛歌です。「TENGOKU KARA KAMINARI」 という曲名と、曙や武蔵丸がどうつながるのかまったくわかりません。しかしわからないところがまた人生でもあるわけで。軽快なウクレレにのせて半ば呟くように「あっけぼの~むさしまるぅ~エン、こにしきぃ~♪」と唄います。なぜかその合間に「いよぉおおおー」という相撲の稽古らしき効果音も入っていたり。なんだかよくわからないけれど、哀切なメロディーに耳を傾けるウチになんだかもの悲しくなり、人とは人間の一生とはなんなのか、という壮大な感慨に浸ることが出来ます。歌手本人もちょっと力士風であるところもまたよし。とりあえずリンク先で視聴できますのでどうぞどうぞ。(5曲目のTENGOKU KARA KAMINARIでよろしく)

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ぴんからフォーエバー!!! [音楽レビュー]

いやー、すンばらしい!宮史郎!

先ほど12チャンネルの「名曲の時間です」を見たのですが、すごいね宮史郎は。

彼の良さを日本国民はもっと知らなきゃいけません。とにかく私は1人でも多くのかたにぴんから兄弟のソウルミュージックを堪能して頂きたい。嗚呼ブログに音楽が流せるのなら。もう女のみちですよ。エロ文のバックには宮史郎のだみ声が延々と流れる。恍惚の時間。もうこれは布教ですよ。布教。ぴんからは宗教音楽です。

とにかくぴんから。ぴんからフォーエバー!!


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春の鬱にはストーンズを。 [音楽レビュー]

ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」だ。

昼休みの帰り、やる気のない蕎麦屋でどうにもしょっぱいかけそばを腹に収めれば、その過剰塩分が体に満ちて、どうにもだるくてたまらない。だらだら歩く交差点のど真ん中でそれはかかった。iPODシャッフルは大抵いい仕事をするが、今日も拝みたくなるくらい順調にやってくれる。

こんなことをいえば「ブライアンオタク」だの「ブライアン厨」だのとそしられることを承知してはいるけれど、確かにブライアン亡き後もミック&キースは良質でエアロスミスほど泥臭くはないブリティッシュの香り漂う絶妙なロックンロールであり続けてはいる。だが、やはりブライアン・ジョーンズがいたあたり―最大1970年までがいちばんいい時期であると思う。根源的な力の存在が楽曲の中に生きている。

ストーンズの曲の中で、ブライアンはうまく絡んでいるとはいいづらい。例えば「MOTHER'S LITTLE HELPER」でシタールなんぞを弾いてるがそれが楽曲に対し有効なアレンジではあるかといえばそうでもない。「レディ・ジェーン」でのダルシマーやハープシコードがホントに必要だったのか、といえばやはりそうでもない気がする。結構余計な添え物感もしたりする。

だが、だからこそ、それは必要なのだ、と断言できる。どうにも不要な感じのするその一音がストーンズをストーンズとたらしめているのだ。黒っぽいリズムと唐突なシタールの混在が混沌としたグルーヴを作り上げる。その原始的な彼の音がストーンズの脊髄であったのだ。ブライアンを切り捨てることでストーンズそのものは長命を図れた。だが、ブライアンのいなくなった後は、年をとったせいもあるけれど、あの原初的な黒いリズムを失っているような気がする。

春は憂鬱を誘い、気力も動く気もそぐ。ただ眠いだけでのんべんだらりとまさに惰眠をむさぼるしかないというのは、ある意味危機的状況なのだが、その危険に気づかず、罠の只中にいて「志村うしろーうしろー」と叫ばれてしまうような、本人だけはのんきであるのだ。だいたいヤバくなってから気づく。今回もそうだった。

「ホンキートンクウィメン」のあとになぜか「ジャンピンジャックフラッシュ」。その真にロックなスピードは私の体に深く埋め込まれ、渦を巻き、エネルギーを生み出す。

黒いうねりが続く。私はゆっくりと目を見開いた。なにかが、変わり始めた。

 

スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)

スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)

  • アーティスト: ザ・ローリング・ストーンズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルインターナショナル
  • 発売日: 2002/11/09
  • メディア: CD

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Universal Speaking [音楽レビュー]

Greatest Hits & Videos [CD & DVD]

Greatest Hits & Videos [CD & DVD]

  • アーティスト: The Red Hot Chili Peppers
  • 出版社/メーカー: Warner Brothers
  • 発売日: 2003/11/18
  • メディア: CD


春になるとRED HOT Chili Peppersが聞きたくなる。
これがスライ&ファミリーストーンなら、不思議と季節を問わないのだが。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下レッチリ)はなぜか春だ。なぜか。
iPODシャッフルへ適当につめてシャッフルでこれまた適当に聞く。ゴールデンカップスのジス・バッド・ガールの次に(グルーピー気分が冷めやらぬまま)セイブ・ザ・ポピュレーションなんかがクるからたまらない。昼飯も食わず、ひなたのベンチに腰掛けて音楽(おミュージック)をひたすら身体にためこむ。セイブ・ザ・ポピュレーションの情念のうねりは、私の中の鬱屈した感情を巻き込みながら体を突き抜け、さながら天に昇る龍のように苦しみもだえながらそれでもカタルシスにむかって螺旋をえがいて昇っていく。(問いかけつつ追われつつおいかけ抜き去り光体と化す)真摯な情熱のあとにはそして弾むように明るいユニヴァーサル・スピーキング。iPODシャッフル、いい仕事するなあ。アンソニーの粘る歌声と直球の楽曲構成が若くていい。本当にうれしくて仕方がないという勢いに満ち溢れている。(本当に本当にキミが好きなんだよ。魂の叫びの凝縮を楽しく)シャボン玉のような万華鏡のようなフレーズが途中で挟まれるのもいい。春がそこにある。私はレッチリを通して春を吸い込む。
公園のベンチでひざを抱え、別々になる友達と、春の嵐にも似た強い風に揺れる枝と流れる薄ピンクいろの花びらを見ながら「忘れたくないね、この感じ」とうつむきながら話していたのを思い出す。涙が零れ落ちそうなその一歩手前があんなにキツいとは、そのときまで知らなかった。泣きたいのに涙がでない。なぜなんだろうと強い風に巻上げられる花びらを見ながらずっと考えていた。それだけを。桜の花びらで川面が埋まる。くさくて汚いどぶ川が唯一誰からも愛される美しさをとりもどす季節だ。
また誰かを好きになりたくなる。悲しみがやがて待ち構えていることが十分すぎるほどわかっていても。隣にいるアナタにキスして、春の宵を、浮かれて地に足がつけないあしどりで歩きたい。アナタと私の間で生まれあふれる多幸感で、息が詰まりそうになりながら。その、つまり、一般的にいえば。


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ZIGGY STARDAST 屈折する星くずと火星から来た蜘蛛たちの栄光と凋落 [音楽レビュー]

The Rise And Fall Of Ziggy Stardust (EMI) [ENHANCED CD]

The Rise And Fall Of Ziggy Stardust (EMI) [ENHANCED CD]

  • アーティスト: David Bowie
  • 出版社/メーカー: Emi
  • 発売日: 1999/09/06
  • メディア: CD

奇跡の一枚。

「ジギースターダスト」というアルバムを形容する際、これ以上の言葉あるのだろうか。
才能あるミュージシャンなら、一曲や二曲、素晴らしい作曲ができるだろう。スターになる素質があるなら、ステージに立っただけで女の子達を失神させられるだろう。もちろんその両方をもち、なおかつ運に恵まれていたらスーパースターになれるだろう。だが、(それだけならワンサといる)一介の才能あるミュージシャンが、自ら架空のスーパースターを演じて、しかもネタ扱いされることなく、言葉の本来の意味で自他共に認めさせ、現実の自分とはまったく乖離させて葬り去った、そんなことをやった人間が、有史以来、あり得たのだろうか。そこには彼だけがいて、後は誰もいない。
だからこその「奇跡の一枚」なのだ。

いまそんな遣り方で売り出しても、笑止で終わってしまうだろう。個人規模まで卑小化させるなら、たとえばわたしが「日本一の美女です」と自称したところで、たんなる「電波」としてどこかへ追いやられてしまうだけだし、あるいはネタとしてなら「日本一の美女」として売り出した研ナオ子のようなケースもあり得るだろう。現在ではそのような意味合いの方が、むしろ一般的ではないのか。


言葉通りの意味合い「スーパースター」として君臨しようとした「ジギー・スターダスト」をそのまま受け取り、享受し、楽しめた時代というのを我々はうらやむべきであると思う。幸せな関係を。

ミュージシャンというのは誠に不遇であると言わざるを得ない。
大衆というみだらで不貞きわまる売女に忠誠を誓い続ける、哀れな童貞のようだ。その時々で楽しみカタが違う大衆に、しかも同じ曲を求めながら新しい活動をも求めるという矛盾する行動を強いられ、いつ飽きられるかわからない神経症的緊張感の中、自らの才能を絞り出し続ける。


「レディ・スターダスト」で「誰もがノックアウトされる」と形容されたマーク・ボランは、そんな大衆に、ぼろきれのように放り出され、やっとパンクバンドの前座として復活した頃は、すでに総入れ歯、かつら状態だった。そしてしんだ。大抵のミュージシャンは、そこまでもいかない。それを思えば、彼は幸せだった、とすら言える。惨めなスターの生涯。それをボウイは自らは傷つくことなく、またクラプトンのようにバンドを作り、他者の才能を吸収し自分のモノとし使い捨てる、ということをせず、もしくはストーンズのように、複数でその負担を分担する、あるいはブライアン・ジョーンズのような捨て駒-負債を全て背負わせ、墓場へ追いやることで再生を図るなどということをせず、一個の「スター」を創世し、凋落させ、無数の草臥れていったスターたちの末路を目の当たりにさせた。今まで気づかないふりをしていたファンという怪物どもに、突きつけるかのように。「救世主の誕生と受難、殉教の物語」というテーマすら設けて。

ホントウに彼が違う星からやってきた救世主であり、無理解な人々によって葬られた殉教者なのか、あるいは単なる善良な魅力ある青年が、善良であるが故に祭り上げられ、世界を救う運命を担わされた挙げ句、その救世主としての役目をオーディエンスが望むが故に、余興として殉死させられた、のかはわからない。ただ救世主の受難というストーリーが常に待ち望まれている、はまりこんだ人間は、その宿命から逃れられない。ジギーははめこまれ、また自らもそう望んだ。選ばれた人間として、そのさだめをまっとうする。


ジギースターダストというアルバムに永遠を閉じこめるために。

「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」はストーリーや衣装がどうだ、とか言う前に、二番煎じ三番煎じを制作時から運命づけられていたというか。すでに時代を追体験しなければならない状態であればこそよけいその感は強い。マリリン・モンローに対するメイミー・ヴァン・ドーレンのようなものだ。

その後、ジギーを葬り去ったあとのボウイは、声の太くなったおっさんとなり果てた。ジギーを否定したおかげで、ボウイ債を発行できるまでに生き延びられたのではないか?そうした彼のその後は(否定と肯定と諦観の繰り返し)いわゆる「ロックスター」的にはものすごくかっこわるい。

だが私は早川義夫もどきの言葉を捧げたい。「かっこわるいことはなんてかっこいいんだろう」


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いってしまった人々にコレを [音楽レビュー]

ドンナ人間ニモ カナラズ終リハ来ル

ドンナ世ノ中ニモ カナラズ終リハ来ル

美シイ人モ 勇マシイ人モ ヌケメナイ人モ

イツカハクタバル

ソノ日ノタメニ キタエテオコウ

キミノ覚悟ノスベテヲ

自殺・暗殺・虐殺

 

ドンナ愛情ニモ カナラズ終ワリガクル

ドンナ恍惚ニモ カナラズ終ワリガクル

大キイ人モ 短イ人モ シツコイ人モ

イツカハ ハテル

ソノ日ノタメニ キタエテオコウ

キミノ覚悟ノスベテヲ

腹筋・海綿体・括約筋

 

ドンナ繁栄ニモ カナラズ終ワリハクル

ドンナインチキニモ カナラズ終ワリハクル

信ジタ人モ 夢見ル人モ 飲ミ過ギタ人モ

イツカハ醒メル

ソノ日ノタメニ キタエテオコウ

君ノ覚悟ノスベテヲ

誤算・破産・倒産・南無三!

…だからいつかはおしまいになるんだと思ってれば…あんまり…あの…苛々することもないと。どうせみんなしぬんだから。せいぜいが僕が、まあ明日くらいしぬんだとすれば、あなた方が明後日くらいしぬくらいなもんで。この地球の寿命からみれば、ホッントの、もう一瞬の差ですよ。だからほんの一瞬の間のことだけで、いいことだけ求めれば、もうハタのことはどうでもいいんですよ…

-CKB「青山246の夜」より

 野坂昭如「絶望のタンゴ」と「野坂説法(後説)」

青山246深夜族の夜

青山246深夜族の夜

  • アーティスト: クレイジーケンバンドwith野坂昭如, クレイジーケンバンド, 横山剣, 片桐和子, 野坂昭如, 能吉利人
  • 出版社/メーカー: サブスタンス
  • 発売日: 2003/05/21
  • メディア: CD


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愛されたい君愛されないね どうしてなんだろうね [音楽レビュー]

 

高校の同級生と意外なところで意外なカタチで再び相見えた経験はお持ちだろうか。

私は偶然なにか音楽サイトを検索していて、彼に再会した。

彼-牛島悠介氏は高校時代一緒に文芸雑誌を作っていた、というか私の作っていた文芸雑誌に彼が小説を寄稿してくれていたのだ。彼は当時から独特の雰囲気を保っていた。まるでピンスポがあたっている-その逆か。彼の周囲だけ切り取られたように闇だった。闇の中から浮き上がるように、彼は存在していた。変な言い方だが「黒」をまとって歩いているようだった。まわりの呑気なあるいは変わり者でありたい高校生達とは、明らかに一線を画していた。その校内雑誌には私もいくつか小説載せていたが、彼の小説を読むたび、嗚呼才能があるというのはこういうコトか、と自分のまずい小説と才能のなさを恨んだり、一緒に載せるのを恥ずかしく思ったりして。彼の小説は輪姦され殺される女の話、あるいはバロウズ的幻想の中に漂う男の話など異質であり、誰かの影響を感じさせながらも、それは彼なりに咀嚼して描かれていた。(ちなみに私が書いていたのは殴られて蹴られて悲惨な目にあってもどうしようもなく男を愛してしまう女子高生の話。サイテーだな。)

彼はいい小説家になるだろうと思いつつ、最近そういや全然デビューしないなと考えていたら、こんな違うカタチで世に出ていた。発売後すぐCDを購入。聞いてみたらやはりそこにはあの高校当時の牛島君がいた。より成長しシニカルになって。

この「HATENA??HATENA」の中で一番いいなと思ったのは、表題作「??」である。(はてなはてなと読むらしい。)

気に入った詩の部分をご紹介代わりに引用させて頂く。

「ただ一つ言えることは僕らみんな

愛を求めて時には模造品の愛まで食らって

心と体壊してもなお求める

愛のジャンキー それが今の君で キスしてあげよか?

もし愛が売ってたら君は買うかい?

たぶん買うだろうな (僕も買う 二万までなら)」

(牛島氏のHPhttp://www.sfstudio.jp/にて視聴できます。)

ジャガジャガしたせわしないリズムで刻むように歌われると、毒よりもシニカルさが際だち小気味よく響いて後味はメランコリー。

そう誰もが愛されたい。

手鏡教授も淫行教師も買春政治家も出会い系人妻も不倫OLも援交少女も。手に入らないモノと知りながら、ためつすがめつ迷い戸惑い悩み傷つき、それでも必死に手を伸ばして。


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