あるおわり [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
ブラジルにいる伯父のひとりが亡くなった。
東京オリンピック前に移民し、そのあと、とうとう一度も日本に帰る事がないまま。ブラジルに行った時会うことが できて本当に良かったと今では思う。晩年あまり裕福ではなかったけれど、家族には恵まれていたから、それを思うことにする。
安らかに。
「しかしこんなことになるとはなあ」とぼやきっぱなしの日々 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
退院して一ヶ月検診が無事終わり、息子(仮称おにぎり)は順調に生育しています。
それにしても産まれて一週間後にあんなことが起きるなんてなあ…。福島原発は元々危ないといわれてましたけれどもこんな事故が起こり、飲み水に摂取制限が起こる事態になり、しばらく旦那の実家に「疎開」していたりしました。ただ快く迎えてくれたものの、旦那実家とはあまりこれまで交流があった訳ではなく、 また私の産後鬱が結果的に悪化してしまい、一週間ほどで帰ってきてしまった。(この辺の事情についてはまた後日まとめたい)
まあなんつーか。孫というか赤ちゃんはジジババを狂わせるね。
体力がなかなか回復しないどころか悪化してしまったので産後一か月過ぎても実家にいるのだけれども、私の親、なかんずく父親と衝突するようになってしまった。
父親としては「頼まれて孫の世話をする俺」みたいな図式を思い描いていたらしいのだが、正直、生活サイクルが全然あわないし(父夕方帰宅→その頃には私は既に風呂飯を終えて夜中の授乳に備えて子とともに就寝)そんな「察してチャソ」されてもそんな余裕ねえよって感じなので、そんなわけのわからんメンツのため意固地になってしまい、花見に行こうという約束をすっぽかしたり、徹夜のため寝てない旦那に無理矢理運転させようとしたり、といった八つ当たり的な嫌がらせをするようになった。ふざけんな。
結局体調が悪いときに子を母に任せる際「父親が勝手に抱くのはかまわないよ」と申し送りをし、それでやっと落ち着いたようなアリサマだが、そんな人とは思えなかっただけに、なんというか…本当に孫という存在は厄介だな、と思った次第。 まあ今が余計に母子ともにどう接していいか判らないという時期なだけに(私は産後鬱気味で余裕がなく、子はまだ感情が表に出るほど発達してない)父親の「どうしていいかわからない」感は強かったのかもしれないが。
うまれました&退院しました。 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
出産おめでとうメッセージ、本当にありがとうございます。
3/8、某病院より親子共々無事退院しました。
母子ともに順調ですが私が鬱傾向が強くなってしまい、ちゃんとおひとりおひとりにご挨拶ができない状況ですみません。この場を借りて心よりお礼申し上げます。
破水後陣痛促進剤の投与→17時間の奮闘の末鉗子分娩というちょっと難産でしたが、子ども自身には問題なく(鉗子の後がついた程度)無事出産と相成りました。
このブログを2004年にはじめてもう7年ほどになりますが、まさかこんな日記を書く日がこようとは…ちょっと感慨深いです。
お世話になった某病院はセレブ系じゃないんですが高齢出産に強いことで有名で、マイミクさんが以前そこでご出産されたこともあり、私もそこに決めた次第。入院後もほとんどの妊産婦さんが私と同じ年かそれ以上と思しき方々で、それもまたほっとしました。産科医のかたがいずれも30代前半?ぐらいで若いのですがちょっと影が薄く、助産師さんの印象が強いところで、助産師さんの「熱さ」もまた印象的な、そんな病院です。実にいい所だった。実は出産に至る過程をいい機会なので備忘録をかねて、と、まとめていたんですがかなり長くなりまして…。分割して、病院での思い出とともに、書いていく予定です。しばらくお待ち下さい。
それまで子ども欲しいとも思った事なく、特段子ども好きでもなく、妊娠自体突然だったこともあり、しかも妊娠中とにかく身体の辛さのあまり、うまれても愛せるのかな大丈夫かな、などと心配してましたが、いざ自分の子を前にすると、本当に可愛くて世話をするのが楽しいです。このまま夫とともに時がとまればいい、と思ったりします。それは子どもの成長を否定するのではなくて、ある意味産後鬱からくるのかもしれないのだけれど。
twitterやmixiボイスでも書いたんですが、あまりにも病院が居心地よかったため(合宿所みたいだった)、退院後「病院に戻りたい…」という気持ちがとても強く、堪え難い喪失感をどうすることもできないでいます。辛すぎて病院からもらったものの整理すら、ついてません。夫と話すと少し良くなるんですが…独りになるとやっぱりダメ。実家に戻っているので家事をしなくていいのが、まだ救いです。
こどもについても、「いまこの姿」を自分が「忘れていく」ことが耐えられない。夜中、授乳におきたとき、息子が待ちきれず本当に輝いた顔をして私を見ている、その顔を、たぶんもう何ヶ月かしたら、忘れてしまう。(絵が描ける人が羨ましい)大林宣彦の「時をかける少女」に「忘れたくないのに」という哀切なセリフがありますが、今はしみじみと実感しています。過去にする、というか過去になっていく、この流れ作業的な時間軸に耐えきれない。そしてこの先にある死が、私にはとても恐ろしく、あまりにも恐ろしいが故に、耐えきれそうにない、と思う。
でも世の中のお母さんたちはきっとみんなこの「哀しみ」や「寂しさ」「喪失する痛み」を「成長の喜び」に変えて乗り越えていってるんだな…と思うと、すごいよ、みんな。いまは毎時間泣いてるようなアリサマですが、わたしもそうやっていけるのかな。いければ、いいな。今は夫の支えでどうにかこうにかやっているような状況ですが。
うまくかけませんが、いつかこの子が大きくなった時に、どれだけ祝福されて誕生したのか、教えてやりたい、と思っています。ありがとう。本当に。
うまれました [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
こういうときある程度大きな病院であることの大切さを学びますな。
いつか息子と旦那とともに旦那のルーツを訪ねてみたい、そんな夢もできたり。
胎教に悪い映画ばっかりみたので悪影響がなきゃいいが。
明日から新婚旅行 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
ようやく新婚旅行だよおい。
現地から更新できたらええのう。
あけましておめでとうございます。 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
すでにもう新年になってから10日ほどたっておりまして、スッカリ遅くなりましたが、どもども、あけましておめでとうございます。
でもって私、去年妊娠結婚しまして、あけてもうすぐ、いよいよ中の人が世に出ます。男の子だそーで、目下の関心事は「蒙古斑がでるかいなか」でございます。(コリアンは蒙古斑でない説があって気になるのだ)
振り返ると2010年。自分自身こんなことになるとはまったく考えてなかったのでこの急展開ぶりにはひたすら驚愕と不信の中であけくれの2010年でした。結婚なんて諦めてたしねえ。その上、まさか妊娠するとはって感じで。でもまあ過ぎてみれば充実した良い一年だったと思います。
↑結婚式の画像を貼っておくかな。
ウェルカムボード代わりに旦那と旧知の某「GTO」な漫画家先生がこんな色紙をくださいました。(旦那はそっくりだ。俺は…俺のことはまあいいんだよ!)当日、披露宴にはゲーム業界の大物サンたちが来てくださったりして、この日地震があったら某出版社関係とゲーム業界には大変な打撃だったでせう。余興は「ロマンポルシェ。」さんが演奏してくれて、一部にはたいそう喜ばれた次第でございます。
そんなこんなで今年もいろいろあると思いますがどうかよろしくお願いします。(またボツボツ更新していきます)
みなさまの一年に幸い多かれと祈っております。
生まれて、引っ越しして妊娠して入籍した【報告】 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
と、いうわけで無事昨日、また一歳年を重ねババアとなったのでした。
去年から今年にかけて、なんというかあまりにも疾風怒濤の日々だったので、なにやなにやらとにかくひたすら時間だけが過ぎていったような次第です。
6月に新居へ引っ越して、アレよという間に妊娠し、提出書類を集めてなんとか昨日婚姻届を提出しました。あとは12月の結婚式が残っているくらいで(最後にして最大の難関…)ようやく一安心です。ついにここまできたのか…あんまり実感ないんだけど、そういうものかもしれん。なにかいろいろと順番が違う気もするけどまあいいか。
6月からの数ヶ月間はもう妊娠初期症状に悩まされまくりで、飯も食えず動くこともできず、ただ「なんでこんな苦しい思いをせなあかんのか」とぐったりすることぐらいしかできず。でもみんなこういう思いを味わってきたんだから、とそれぐらいが慰めでござんした。
それでも。
夜中、なにかの拍子でふと目が覚めて「ああ自分はここにいてはいけない、“どこか”へ行かなくては」と焦燥感に駆られ、起き上がっては夫に止められたり諭されたりというのを繰り返しをしたり、あまりにも体が動かないと「もしかしたらこのまま死ぬかもしれない」とぼんやりと考えたり、なにもかもが嫌になって破壊的衝動が体内に噴出したり、「私だけではない」と思いながらも耐えがたい、おさえ難い感情が爆発することもあった。
そういうとき彼はいつでも耐えて「だいじょうぶだよ」と根気よく私の話を聞き、そして支えてくれた。そのことを私は忘れないようにこれから生きていこう、と、そんなことを、法的な書類を戸籍係がチェックしている間考えていました。
そうそう大事な事。こうして婚姻届ひとつだすのでも誰かの手を借りなきゃだせない。人はそうしてつながって生きていく社会的生物なんだ。あえてそこを自覚的に捉えることによって「当然である」と無感情にならないようにしたい。こうしていられるのもたくさんの人のおかげなんだなとあらためて思いました。いつもありがとう。本当にありがとう。
やあ。つまり私は元気でなんとかやってます。皆様、これからもよろしく。
というわけで俺ちゃんは元気です。 [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
みなさまいかがお過ごしですか。
俺ちゃんはとりあえず元気です。引っ越しして結婚して子供ができて結婚式まで何百里状態ですが。
仕事もやめてまさかまさかの主婦生活。
なんかもう何事も決まるときは決まるんですねえ。
この辺の話はまた改めて。