SSブログ

あらしのよるに [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]

風の強い春の宵、胸の痛む光景を目にした。

駅近くの交差点手前に車が止まっている。ハザードがついていて、行き過ぎて振り返ると、数人の女性が車の後部下を熱心に見ている。彼女らの近くには、空き缶を満載した手押し車を押す、おそらくはホームレスだろうと思しき老人がいた。どういう経緯かはわからないけれど、たぶん彼女の車とその手押し車が接触したのだろう。傍目から見て傷があるとは思えなかった。それはみている彼女達がいちばんよくわかっていただろう。示威的に眺めているように、私には見えた。

垢で顔が赤黒くなった老人の、まばらな白髪が強い風にあおられる。

黙って老人は手押し車を押さえていた。中年の太った女は運転席に乗り込む前に、老人に向かってなにかをののしった。言い返す訳でもなく、風にあおられ方向が定まらなくなりがちな手押し車を、ただ老人は押さえていた。信号は変わっていて、待っている間、ウィンドウから少年が顔を出して、また老人に何かを言う。わたしはそれらを黙ってみていた。車はやがて左折していった。

彼女らは、その満載の空き缶を換金しても、札にいたらないであろうことを、知らないだろう。また知ったとしても、だからなんだ、というかもしれない。それこそ例の自己責任を持ち出すかもしれない。そんな老人がどうなるかということよりも、車のわずかな傷の方が大事だといわれれば、その意見に首肯する人間はいるだろうし、少なくないであろうことは私にもわかる。

うなりをあげて吹きすさぶ風の中、老人の手押し車は過重のせいで右へ左へ定まらない。回転したりする。思わず手を出しかけて、私はやめた。「ぼくにできることはなにもない」トム少佐のあの歌を思い出した。

そのまま歩いて振り返るともう老人はいなかった。そこからさらに押し続けて、ごうごういう風をやり過ごしながら、秋葉原までいかなくてはいけないのだから。     

歩きながら私は泣いた。私に出来る事は何も無い。そう思いながら私は泣いた。以前見たドキュメンタリー番組でみた河原に住み着いたホームレスが、沖縄訛りで「じえんじぇん儲からないよ、生活できないよ」といっていたのを思い出す。現実とはそうしたもので、「ぼくにできる事は何も無い」。

浅川マキは自殺していった「朝鮮人のおじさん」のために歌を作って唄ってあげた。私に出来るのは、こうしてここに書く事と、こうした痛みを、忘れぬことだけで。

いまも胸と胃が痛い。どうしてあの出来事にこんなにえぐられるのか。ヨコハマメリーをみたときの感じに少し、似ている。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。