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思いつく感覚的ななにか [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

寂しいのとも違う、なにか不安定な不確かな気持ち。会いたくて話したいけど、そうはいかない。特にいいたいことがあるわけではなく、ただツマラナいことで、ぶーぶー言いたいような、そんな感じ。

偽キョウダイと話してるとなぜ気持ちが落ち着くのか考えていた。彼女とは年齢はもとより国籍・人種すら違うんだけど、説明抜きで話せる上に、自分が本来持つ女性的な部分を、よい意味で引き出してくれてるからかもしれないが。
ミッチェルと話すのも遠慮がなくてよいのだけど、どうしても男性的な面が自分の中で大きくなってしまう。意識させられる。それは自分であるけど、自分ではない。好きな人と話すときはまた違って、見せたい自分なんだな。肩の力は抜けない。(これは私が相手を好きでいる限り不変だろう)
勝手に私を「自分のすべてを理解し受容する女」扱いされるのも嫌だ。マドンナを止めれば豹変し罵倒する。どうして私がそんな役割を背負わされなきゃいけないのかがわからない。みんな都合のよい「わたし」が好き。

昔から女性は怖かった。彼女たちから自分は女ではない、異質ななにかと常に認定されている気がして。過度に女性的な体型なのも嫌だった。「女性」というものが今でもわからない。こうして形而上学的に考えてしまう限りやはり自分は「おんな」ではないように、思えてくる。
「女性」がこわい私を受け入れてくれた男性もまた怖い存在には変わりない。友達の筈なのに性別としての「女性」を求めてくる。それはマドンナか娼婦かの違いでしかない。もしくはその表裏としての「男」か。違う自分にたえず向き合わされることには違いない。

偽キョウダイはそういう私を引き剥がして、もうひとつの可能性としての私を見せてくれる気がする。5歳のときのアレがなかったとしての自分。早く知りすぎることのなかった自分。女としてノビノビと剥き身になってるのに痛みよりも安らぎを覚えるのはそこからかもしれない。

彼女は「世界はもっと瑠璃子さんを抱きしめるべきなんだ」といった。私は思う。あなたのような人に抱きしめてもらえればそれでいい、と。

おやすみなさい。また明日。

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