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性的な話をいくつか(日曜と月曜のあいだで) [みちゃイヤン☆(エロ濃厚)]

・サディスティックなセックスができるかできないかはもっと本質的な問題であって、どSだのという言葉でカンタンに言ってしまえることではない気がする。

・サディスティックなセックスというと、サンデーとマンデーにムチムチでロウ化粧みたいなことを想像する人も多いかもしれないけど(亀甲縛りで煮豚を作る人もいますね)、私が連想するのは、押さえつけられて、身動きが取れないような状態でアレコレされるまもなくスンナリと入れられてしまう、というものだ。完全に相手の主導の元に行われる性的な行為。(モノとしてしか扱われない。ex.「親切なクムジャさん」にでてくるセックスシーンのような)乳首をひねられたりといったことはどうでもよろしいですがな。

・だいたいそういう人はパッとみたときに「ああそうだろうな」というのがわかる。攻撃性を押さえつけたようなさわり方するし。そういう性質の人は、単なるセックスのバリエーションとしてのそれよりも、より本質的にサディストであるから、マゾヒスト体質の人間はのめりこんでしまう蓋然性が高い。

・ゆえにそういう人とはあまりセックスをしたくない。冷感症の私でも。肉体よりも精神が反応するから。

・SMの話をあまりしなかった気がする。そういうエロ話も、たぶん書いてない。(小説を除いて)それは私の中で客観視できないもののひとつだからだと思う。

・それでも少し書くと、フロムを読んでまず真っ先に「共感」したのはサディズムとマゾヒズムのくだりだったことは白状しておく。大衆論なんて最初どうでもよかった、なんて。

・SMは信頼と愛がなければできない。単なるプレイだけってのはセックスのバリエーションでしかない。絶対的なものの前にひれ伏す「ホンモノ」は性行為なくてOKだったりする。だから私は6年間セックスしなくても平気だったのでした。

・ただ「どこまでいうことが聞けるのか」のインフレを招いてしまうことはあるだろう。妊娠させて堕胎させたいといわれたときは正直ひいた。(でかいのを入れようとしてまんこ切ったりするのまでは可←いろんなことやってんな。あと膣壁つかまれてひきずりまわされたりとか←いろんなry)宗教と非常に近似性がある、というか畢竟、同じものであると私は思っている。

・私が尺八(古風だねえ)を好きな理由は、相手をねじ伏せるための行為、というよりも、喜んで欲しいという気持ちから。ただやりすぎて時々失敗する。・硬くなっていてもそうじゃなくても、遊び方はいろいろあるってもんです。握らせて眠らせてくれる人は、最高です。

・あしの間におさまって顔を見上げるというのがいちばん落ち着くってのは我ながらどうかしていると思う。相手の足の間にいるのがシアワセと思うのも。(よしよしなんてされたら!じゅん…としちゃう前に溶けちゃうかも)

・16歳上の歯科技工士と付き合っていたときは、彼が夜昼ない生活をしていたので完全にすれ違っていた。連絡がないときは一週間やそこらは当たり前だったし、なによりこちらからは一切電話が出来なかった。そして突然メールが来て「今日そっちにいくから」とか「今日こっちにこい」とかそういう感じ。その感覚をちょっと思い出したりした。

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