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恋愛について私がおもう二、三の事柄 [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

あまり書くこともないだろうし、たぶんこのネタについては一度ぐらいしか書くつもりもないのですが。

いま私には好きな人がいて、その人とどこかに出かけたりすると大変楽しい。(そもそも顔を見られるだけでうれしい)一日のうち何回か新しい気持ちになる瞬間もある。まさしくこれは「恋愛感情」で、それ以外のなにものでもなく、そしてもしかしたらいまがいちばんそういう感情が強いときなのかもしれない。私とその人がどうなるのか、それはわからない。つきあうかどうかも(さまざまな要因があって)まだよくわからないくらいだし。ただどうなるにしろ、長く一緒にいればいるほどやがてはこの「恋愛感情」というものはよくも悪くも消え去っていく、じょじょに、というのは残念ながら理解できる年になってしまった。

「恋愛感情」が消えたあとはどうなるんだろう。結婚もしたことがなければ同棲もしたことのない私だけれども、ぼんやりと想像するのは、お互いが空気みたいな存在になって、なんとなく一緒にいる、そういう態様へ変化していくだろうということは想像できる。「それらしき経験」も,少しはあるから。それを「情」と呼ぶか「絆」と呼ぶか、そこは人によって分かれる見解だろう。でもおそらく同じ状態を呼びあらわしていると私は思う。多くの恋人たちは、この分岐点にさしかかり、脱落するか、添い遂げるか、選択を迫られる。この選択はたとえ勢いで結婚したりした人たちですら逃れられないんじゃないか。その分岐点には絶対にさしかかると思う。結婚していれば社会的制約やら世間体やらといった「おとなの事情」で選択していくんだろうけど(もちろん「おわかれする」という選択をするひとたちもいるだろうね)、恋人たちの場合、そういった「おとなの事情」がない分、その「選択」には耐性がなく脱落しやすいと思う。

だが脱落したからといってそれは誰の責任という訳でもないと思う。ただそれはそうであった、それだけのことではないだろうか。長く続けることができない相手だった、と思うべきだと私は考える。求めることはできても,続けることができない。そういうことだったんじゃないだろうか。

私の友達は「つきあったら結婚するか別れるかどちらかしかない」といったけれども、それは違う。どちらにしろ「選択」をする日がくる。そしてわたしはそんな選択をするときがくるのだろうか、とふと思った。


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コメント 4

Dan

「第三の人物」が関わることが無しにその「選択」にたどり着ければ、どう転んだとしても良かったと思えるのではないかと思う。

現実には、自分たちだけで全て閉じた世界ってのが無いことが面倒なのだけれど。
by Dan (2009-07-23 20:59) 

瑠璃子

関わっていたとしてもわたしはそう思うな。もし二人の方がよければ動くことはないのだから…難しいけどね。
by 瑠璃子 (2009-07-23 21:13) 

Dan

その難しさを何処かに意識しながら前に進めるのが羨ましい。

ジジイは今や仮想恋愛以上のことを「面倒」と思うようになって、もうオシマイかなと思ってますよ。

失礼。書き汚しました。
by Dan (2009-07-23 23:15) 

瑠璃子

いえいえ。いいのです。
私も面倒と思っていたけど、たぶん私の好きな人も、面倒と思っていたんだろうけど、それでもこういうことになることもあるのです。砂地に水がしみ込むような出来事が、あるときはあるんじゃないかな。

そんな風に思っています。
by 瑠璃子 (2009-07-23 23:23) 

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