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ふとこんなことを思ったりして [たまには真面目に語ってみる(コラム)]

ある個人に対する、才能や業績その他への「評価」と抱く「好悪」というのはまったく別問題であると私は認識している。だから人物的には好ましいし親しみを感じるが才能はないと思うこともあるし、才能も業績も非常に高く評価するが人間的には最低だ、ということもある。ところがそのあたりが未分化な人がいる。才能や業績への信頼と人間的な信頼をごっちゃにしちゃうってやつね。で、他者がその才能や業績に対する違和を表明すると、己への攻撃と思ってしまったりする。非常に近視眼的なものの見かたなんだけど、多くの人が陥りやすいともいえるかな。山崎行太郎なんて人もそうだけど、ある見方において優れた人でも陰謀論を展開していたりするので、その人に対して帰依するような真似だけは避けたいと以前八木秀次に騙されていたことを知ってネトウヨから洗脳解除された私は思ってしまうわけです。これは私の持論なんだけれども、ある見方・議論において「粗雑」な人が別な見方・議論において「粗雑」でないということはあまりない。たいていは満遍なく「粗雑」で、満遍なく「慎重」である。なぜか。人は知れば知るほど「断言」なんてものはできなくなってくる。ある見方が別方面から見た場合容易に否定されるなんてことはよくあることだからだ。知るということはつまりそういう複眼的視点を「獲得」することであり、そのため(使い古されて鼻紙にもならない言葉だが温故知新)「無知の知」を自覚する人ほど、「慎重」になる。この間ちょっとインテリとは何ぞや?といった話がでたけれども、畢竟私が考える「インテリ」ってのは、この「知らない」ということに対してどこまで自覚的な人か、ということにつきる。まあその辺を逆手にとって「騙す」ような人が一番タチ悪いって気がしますね。知らないなら知らないでいいじゃない。別にアンタが発言しなきゃ世界が終わるってわけじゃないんだからさ。※たまになぜか「俺はその問題について興味がない」ということをわざわざ「表明」したがる人がいる。あれも不思議。そんなことをなんで絶叫してこちら側に知らせるんだ?だったら黙ってろよって思います。別にお前に「コミットしなきゃならない義務」なんてないんだから。
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