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あまりにも「個人の選択」に帰着しすぎている [小ネタニュース(時事ニュース)]

赤ちゃんポストに子ども預けた母親、6割30~40歳代  

親が養育できない新生児を匿名で託す慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)について、子どもを預けた母親の年齢層は、30~40歳代が6割、20歳代が3割、10歳代が1割だったことがわかった。有識者らによる検証会議が8日、熊本県に提出した中間報告書で明らかにした。  ゆりかごに預けられたのは、運用開始の昨年5月から今年3月までに計17人(男13人、女4人)に上ることを熊本市が公表。検証会議が病院や県が把握した情報をまとめた。  報告書によると、預けた理由について「経済的に困難」を挙げた母親が複数いたという。自宅や車の中で一人で出産した事例が3割あり、障害児が預けられていたことも明らかになった。両親とも外国人のケースもあった。未婚の母親はおらず、4割は離婚して母子家庭だった。  報告書は、ゆりかごについて「命を守るぎりぎりの選択」と一定の意義を認めながらも、匿名で預けられることに問題が少なくないとし、「公の制度とするには慎重であるべき」と指摘。全国統一の電話相談窓口を開設することや周産期医療機関の連携の強化を求めた。報告書は近く蒲島郁夫知事が国に提出する。 (2008年9月9日 読売新聞) http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20080909-OYS1T00181.htm

このニュースに関するエントリーや日記を読んでいると「それなら産むな」とか短絡した意見が多々目に付く。あとは「子供は可愛い」とか「愛」だとかひどく情緒的な意見だ。確かに問題が問題だけに(話者それぞれの「人生」や「家庭環境」に直接訴えかけてくるし語りやすい問題であるので当然であるが)情動的な意味合いで語りがちだが、しかし本質的には社会的な問題なのではないか?「個人の選択」が「社会に選択させられている」「社会的に選択せざるをえない」ことを直視せずに語れば単なる個人攻撃や自分語りで終わってしまうだろう。

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統計的に見れば中絶率(図参照。平成15年)は20~24、25~29、30~34と推移していく。これは完全失業率の高い年代でもある。さらにいえば、年代が高くなればなるほど再就職は厳しくなるというのは常識であり、特に30~34は企業側が失業→再就職を受け入れるギリギリの年代といえる。(この場合の「再就職」の意味にはヘッドハンティングなどは含まない)契約社員が契約を打ち切られればあっという間に「ネットカフェ難民」「ホームレス」へ「転落」するというのは誇張表現ではなく、すでに「事実」。雇用をめぐる環境は年々厳しさを増している。もちろん個々のケースを精査しなければ断言は出来ないが、そういった要因を考慮してこの問題は考えるべきではないのだろうか。

こうみていくと20代は(非常に嫌な言い方だが)中絶したとしても、この次は…と思えるけれども、30代40代になると女性は高齢で次子の出産が難しくなるので「次」が考えにくくなり産んで苦しいときだけなんとか預かってもらおうという背景が浮かび上がってくると思うのだがどうだろう。 「預けるのならば産まなければいい」という意見があるが、10ヶ月を経るうちに「産める環境ではなくなる」ということは多々ある。もちろんいつの時代もどの年代でも「個人の選択」で中絶・施設預けを行う人はいるだろう。それを前提になおいいたいのは、雇用状況を含めた包括的な「社会全体を見据えた視点」で語ることが必要であるということだ。

出産リスクが高くなり次子が厳しくなる年代がなぜ「こうのとりのゆりかご」を頼るのか。「個人の選択」のみに帰結させては、問題点を見過ごし、「産むことが前提」の社会(そして子育てに伴うリスクを「個人の問題」として解決を個人の努力のみに頼ること)から「少子化前提の社会」(子育てのリスクを社会に照射しリスクを「個人」と「社会」とへ分散させる割合を増やす)へ。「社会」のしわ寄せが「赤ちゃん」へ向かうのは非常に残念でならない。


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