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「大虐殺」前髪にスペクタクル! [映画レビュー※ネタバレ注意]

天知茂主演の新東宝製作「激動のトンデモ昭和」を描いたモノクロ映画。(後述するが)実在の人物・事件を元にした、エロはないがグロはある、そんな大蔵的ハッタリズムをある意味よくあらわしている作品。「大虐殺」というタイトルなのだがなぜかビデオ発売時には「暴圧 関東大震災と軍部」へ変更?されていたりしてよーわからん。まあその辺のテキトウさ具合もまたいい味を出しているのだが。

書生風の格好をした大杉栄の弟子:天知茂が繁華街を歩き(後ろにはあやしげな鳥打帽姿の男つき)、牛めし屋にはいって注文をしたところで地鳴りとともに大地震が来る。(このときの特撮でお約束の浅草十二階こと涼雲閣の倒壊もありマス)命からがら逃げる茂。逃げ惑う人々の間では既に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言が広がっており、落ち着きを取り戻しつつある街角には自警団がたち、家財道具をもって避難する人々に「君が代をうたえ」「はひふへほといってみろ」などと詰問をし、一瞬でも答えに窮した人には容赦なく襲い掛かっていった(展開速すぎだろ…)。 一方その頃憲兵隊と陸軍は合同会合をひらき、そこで甘粕大尉こと沼田曜一が「これを機に不逞鮮人と社会主義者の取締りを!わけても国家の敵大杉を捕らえましょう!」と熱く主張。陸軍大将からは「大杉を逮捕すれば後々厄介だからやめておけ」と諌められるがそのほかの社会主義者や朝鮮人はオッケーということで早速ガンガンと拘束していく。 混乱のドサクサの中天知茂も拘留され亀戸警察署へ連行。そこには多数の朝鮮人や社会主義者が同じように尋問されており、やがて彼らは裏庭へひったてられ、大きく掘られた穴の前で陸軍が一斉射撃をし、チマチョゴリやバジチョゴリを着た人々がアイゴーと叫びながら倒れこむ。(映画はここからなぜか南京事件?と見まごうばかりの展開をみせる)あわや茂も!と思いきや、寸前で付近の住民が騒ぎ出したため、中断。茂を含む多数の拘留された人々はトラックの荷台に乗せられ、川辺の土手で解放される。喜び勇んで川岸へと走り出す人々。しかし運転席から取り出された九六式軽機関銃(たぶん。時代違うけど)が彼らめがけていっせいに火を噴く。またもやアイゴーと倒れこむ人たちを掻き分け茂は川面へ身を躍らせた。そのまま平泳ぎで逃げる茂。残った死体にガソリンかけて(想像)燃やし、その臭気に顔を曇らせる甘粕たち。 茂はなんとか逃げ出し、大杉先生が危ない!と急を知らせに後片付けに精を出す大杉家へ乗り込む。だいじょうぶでしょーと曜一のたくらみも知らないでノンキな大杉。だが上野の山へ妻伊藤野枝とともに甥橘宗一を連れて散策(ここで西郷隆盛にべたべたと安否連絡の札が貼られていたりするシーンが出てきて妙にディティールというか時代考証にこだわっていて妙だ。この時代考証への妙なこだわりはこのあとも発揮)中の彼らを憲兵隊が取り囲む。そしてもろとも虐殺される。(さすがに橘宗一が殺されるシーンは「こわいよー」という叫びのみだった)しかし甘粕ら実行犯は実に軽い罪で済まされ、茂ら弟子・書生たちは激しく憤る。そしてテロの決行を誓い、そのための資金稼ぎとして(M作戦ですな)大阪で集金後の銀行員を襲うが失敗。しかも行き掛かり上、茂は銀行員を殺してしまう。 お尋ね者になったくせになんの益もなかった踏んだりけったりな茂たちを嘲笑うかのように葬儀前の大杉栄の遺骨が「九州からきた」というむさくるしい男に奪い取られてしまう。そして葬儀の最中遺骨が見つかったことを仲間に報告するが、既に指名手配されていた茂は刑事に逮捕されそうになり、仲間の助けでからくもそこを脱出する。が、代わりに逮捕された仲間は爪に焼けた火箸を差し込まれるなど拷問を受ける。(ギャー!なんで生まれてきたってそれはDMC)知人の新聞記者ならびに茂を愛するその妹に諌められてもあくまでもテロ行為にこだわる茂。同志から「朝鮮独立運動の金さん」を紹介され缶詰に爆薬をつめた「缶詰爆弾」と「拳銃」を渡され、さっそく無人の交番に投げつけると見事木っ端微塵に。早速金さんをアジトへ案内。チマチョゴリを着て爆発物を調合する野を手伝う。そして首謀者と目をつけた福田大将を狙うが、自宅前で実行犯が逮捕されまずは失敗。次に講演会に来た福田大将を憲兵のゴーモンにかけられたヤツが恨みはらさでとばかりに拳銃で撃つが、これがなんと空砲であえなくタイーホ。残り二人となってしまった茂とその同志は、陸軍省内で行われる小泉、福田も参加する会議場に爆弾を仕掛けようと乗り込むが、密告もあって、結局見つかり陸軍省内上を下への大騒ぎとなった挙句、捕まって茂が「われわれはー人民のー軍閥打倒のー」などとアジ演説をぶちながら護送車に放り込まれてジ・エンド。

 この映画はギロチン社の古田大次郎をモデルにした作品であり、それゆえ、上記文章でちょっと触れたけれども、オークラ映画の割には妙に時代考証がしっかりしている。例えば大杉と伊藤が別々の取調室で個別に絞殺されているところや、甘粕の裁判シーンなんて弁護人が「天皇陛下の御名において本当のことをいえ」と迫ったり、彼の供述が二転三転し、部下が上層部からの指示をにおわせた途端にブチギレて全部自分がやったと証言しなおしたりするところや、朝鮮人から武器提供をうけていたことや、拳銃で襲って失敗するところなど、実に史実にそった形で描いている。だがこの映画はどう見ても失敗作となった。それはなぜか。 まずあげられるのは、亀戸事件がわけのわからんかたちにグレードアップ?していたり(史実は10人の社会主義者を銃剣で刺殺)、大杉・伊藤の絞殺シーン憲兵による拷問シーンが不必要にしか思えないほど綿密に描いていたりする点だが、これは推測だけれども、このあたりの「残虐」シーンは新東宝の上層部から観客呼び込みのため強引に挿入されたのではないだろうか。残虐シーンとその他が無理やり接いだようになっておりテンポを著しくそいでいる。そしてこれらのスペクタクル(本当のスペクタクルはまだ後に控えているんだが)&残虐シーンが前半部に集中しているため、後半の淡々とした展開が物足りなく思え、どうにもバランスが悪く、結果、頭でっかちなシロモノとなったんじゃねえかと。また地味な展開の中、はじめてのお相手になった年増の女給が実は自分が殺した銀行員の娘だった!がーん!みたいなお約束がソーニューされたり、逃亡シーンやテロ決行シーンはただ撮っているだけなので緊迫感ゼロ。(史実とはいえ)実行犯がどうにもマヌケな行動ばっかりとっているのも退屈さに拍車をかける。そうかと思うと史実に忠実で見栄えのしない話になったらイカンとばかりに公衆便所爆破が交番爆破になっていたり、クライマックスの大将狙撃がマイトで爆破にランクアップしているが、どうもこれらのちぐはぐな脚本と演出が当社比20%増的な水増し感をあたえ、確実に作品の質を押し下げてしまっているのである。通俗ドラマにしたいのか、残虐シーンで売りたいのか、もっと最初から脚本をしぼったものにすれば、ここまで分裂した印象はもたなかったんだけどねえ。(十二階が倒れるシーンや逃げ惑う群集、焼き尽くされる街、といった特撮がチープなのはご愛嬌)もうちょっと珍妙な味わいがあれば別な楽しみも生まれるんだが、そこまでの勢いがない。天知茂が丁寧な紋切り型演技を披露しているだけに惜しい。

それにしても天知茂は本当に顔が変わらないな。これは「黒薔薇の館」や「無理心中日本の夏」の田村正和をみたときにも思ったけれども。最近の女性タレント(多すぎて誰とはあえていわないけど)が出始めの頃とずいぶん顔が変わるのとは大違いである。端整な顔立ちがテロリズムと義理と人情のハザマで苦悩にゆがむのは好事家にはたまらんだろう。そればっかり見せられるのが玉に瑕だが。個人的にこの映画で一番ドキドキしたのは茂が海岸で悩む自分を振り切ろうと前髪をかきあげるシーン。意外なほど深い生え際のそりこみに(M字ラインの予感!)、なんだか見てはいけないものがそこにある気がして直視しづらかった。ナバホ族のシャンプーは本当に効くのか。そんな疑問がわきあがる今日この頃。こんにちはブラウンモーニングリポートです。


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