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「新宿泥棒日記」ここはアリババ謎の街、だった [映画レビュー※ネタバレ注意]

ここのところATG映画やその特集をやっている映画館が多い。ATG映画が大好きな私にとってとてもありがたいことである。あの暗さカビが生える一歩手前のじめじめ前衛がたまらん。飯三杯は軽いです。ふりかけください。

で、機会があったら是非と思っていた大島渚監督作品「新宿泥棒日記」が東京国際映画祭において記念上映されていたので喜び勇んで見にいく。オーシマはこの頃、ATG映画第二期から「戦場のメリークリスマス」にかけてが全盛期だよななどという感慨はさておき、「新宿泥棒日記」である。

横尾忠則扮する「鳥男」と横山リエ演ずる「紀伊国屋書店の店員不感症女ウメ子」との「道行き」を縦軸に、唐十郎率いる状況劇場の街頭演劇やらデモ隊の様子、高橋鉄の性講義、佐藤慶や戸浦六宏ら「オーシマ組」お歴々の猥談(佐藤慶が「名器じゃないのを名器にするのが男冥利というものだ!」と大マジレスするのが白眉でした。渡辺文雄がそれを嬉々として煽っているんだな。どうもわたしの中では渡辺文雄はインテリやくざというよりも猥談するエロ親父のイメージである)、紀伊国屋書店社長田辺茂一の述懐と、そのナレーションによる戸浦の濡れ場、主役二人はそれらに参加したりしなかったり平行したりクロスオーヴァーしてやりたい放題しながら新宿騒乱事件へとつながっていく、というのが大まかなストーリー。まああってなきが如しです。そんなことよりも手ぬぐいを泥棒被りした佐藤慶と渡辺文雄を従え、バイブレーターを振り回しながら「やるぞ!やるぞ!」と体育会系絶叫を繰り返しつつ横山リエを追いかけ新宿を縦横無尽に走り回る横尾忠則なんてこの映画でしか見られんですよ。そうそう私はこの映画で初めて高橋鉄と田辺茂一を見ましたです。今のように妙にワイドショーこめんてーたーとやらでイッパンタイシュウへ媚びへつらったりせず、文化人が文化人然としているいい時代だったねえ。そういうわけで脇役があまりにも大物過ぎるため通常の役者なら遠慮なくバックリ食われているところだろうが、横尾忠則はいうまでもなく、ほぼ紅一点といえる横山リエも下手なんだがスタイルのよさと印象的なまなざしでキャラはきちんと立っている。もっとも「紅一点」というのが大きいだろうけど。(オーシマはこういう紅一点的な絵面がお好きよね。「無理心中日本の夏」もそうだし)

忘れてはいけないのが横尾忠則と横山リエの主役二人に並んで存在感がある「第三の主役」唐十郎である。街頭劇でふんどし一丁+腹にバラの刺青の格好で見栄をきるシーンに始まり、場面転換時にはアイキャッチのようにギターの弾き語りを披露する縦横無尽な活躍ぶり。ここで歌われる「アリババの歌」は、チムチムチェリーの替え歌で、唐はギターをかき鳴らしつつ朗々とよい声で響かせる。(以下聞き書きをうろ覚えだが記しておく)

「ここは アリババ 謎の街 誰かが あなたに たずねます 朝は海の中昼は丘夜は川の中それはナゼ べろべろべーべろべろべー子供さん ここはアリババ謎の街(ベンベン)」

聞いたが最後耳から離れない。まさに呪いの子守唄。主役二人の物語に割り込む形で花園神社で行われていた状況劇場の「腰巻お仙」の演劇が差し込まれ(若き頃の四谷シモン、麿赤児、李麗仙等が登場します)、やがては二人をも飲み込み、暴力的な猥雑さがそのまま別のベクトルに変換されたような新宿騒乱事件につながるあたりが見事だ。ちなみにこの「腰巻お仙」in花園神社は、同じ年に公開された「にっぽん69’セックス猟奇地帯」でも見たが、そのときはかなりへたくそで場慣れしておらず見ているこちら側が恥ずかしくなってくるようなシロモノだったが(1968年6月すでに状況劇場は花園神社より撤退しているためおそらくこの「にっぽん69’」で使われた映像は撮りだめかなにかしたものだろう)「新宿泥棒日記」ではガラリと変わり、手馴れた唐のしぶとい笑みが印象的な凄味ある芝居となっていた。若い頃の唐十郎は肉感美と愛嬌にあふれ、まさに天女型美少年。今はその面影すらないが。それにしても麿赤児はまったく変わらんな。閑話休題。

時代の空気を掬い取った作品というのは、最先端より半歩遅れているがゆえに、たいてい生き残れず後から見るとかなり古臭く思えたりして興ざめするもんだが、この映画には不思議とそういう腐臭はなく、かえって瑞々しい明るさに満ちている。それゆえ数十年後のわれわれは、その頃と変わらない「そこ」と、変わってしまった「ここ」との差異を慈しむことができる。それはなぜか。おそらくあの頃、「1969年の新宿」という街が獰猛で暴力的な魅力をたたえひとつの大きな劇場だった時期ゆえに、良くも悪くも、等身大の新宿を切り取ることがすでに映画的であったことや、またここまでライブ感を徹底しイメージ先行を徹したため、ドキュメントがストーリーを作り、物語が現場となり、結果、生の「新宿」をパッケージングすることに成功したことなどがあげられるだろう。小さな「異文化衝突」をそこかしこで起こすことで大きな化学反応につながり、製作者側より湧き上がる新鮮な驚きがその場面に遭遇するわれわれの驚きと呼応することで普遍性を獲得したようにも私には思える。映画の中の「新宿」は、今と同じ風景があちこちで見受けられるがみな若く、やけっぱちでアナーキーな無鉄砲さが漲っている。猛々しい「若い新宿」と格闘した大島渚の傑作である。ゴダールの「ウィークエンド」があるなら、日本にはオーシマの「新宿泥棒日記」があるのだ。やっぱり眠くはなりますが。


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Ciscede

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by Ciscede (2020-06-10 13:38) 

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