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浅川マキのロング・グッドバイを「読む」 [音楽レビュー]

寺山修司が彼女のために書き下ろした作品、ロング・グッド・バイ。寺山の作品で同名のものがあるが、それとはまったくの別作品。衝撃は比ではない。

いわくつきの作品で、さまざまな事情(詩を読めばその“事情”は容易に察せられるが)と浅川マキ本人の希望により、おそらくもう出版されることはない、といわれている。だが過去に一度だけ掲載されたことがある。その雑誌--古本屋サイトで探してみつけた「新譜ジャーナル別冊 浅川マキの世界」でようやく読むことができた。一読して、まず絶対に絶対に録音されて公に発売されることはないだろう、とおもう。朝鮮人のおじさんがガス自殺をした、それだけの話なのだけれども、wikipediaによれば寺山は渋る浅川マキに対して「マキがこの作品を唄わないならば、僕(寺山)が演出する意味が無くなる」とまでいい説得したそうだ。なるほど寺山がそこまで固執したのもよくわかる。確かにこの曲は浅川マキにしか歌えない。日本でもっとも優れたブルーズ歌手であり、怨念を抽出し普遍的な情念へと白く昇華できる彼女でなければならなかったと思う。それにしてもよくこんな詩を書けたものだ。これも1972年という時代だからこそできたものだろう。それにしても、二律背反するようだが、このまま世に出ずうずもれていくには惜しい。寺山に神が降りたような、奇跡的な詩である。途中にはさみこまれる鉄道唱歌がまさに哀歌だ。線路は続くよ、どこまでも。「はるかな町まで しあわせと たたかいのない日を 探すため」

今日はいささかセンチメンタルで、でも泣けば泣くだけどこか洗われたような気になり、夜の中におちる。また、明日。

 


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