叫んだからといってどうにかなるもンでもないし愛は [マボロシの男たち(エロ風味)]
クリスマスに知り合って、その日のうちに彼は童貞を喪失し、以来今日までなんだかんだと疾風怒濤の日々。さて何人目にあたるのか忘れ果ててる私を向こうにまわした彼はといえば、ヨワイ30歳のその日まで、女体はおろか男女付き合いの経験が一切なく、そのマリーンズ小宮山投手似のコワモテ顔とは全く裏腹な、いわゆる乙男(オトメン:乙女心を所持した男子)として日々可憐に生きている人である。真顔で「なぜキミの事を考えていると時間が早く過ぎるのだろうか」といったりしつつもガンダムオタの鉄道ファンではある。
まあそんな身の上話はどうでもいいのだが、つまりなにがいいたいのかといえば、彼は「自分が好意を抱いている相手とつかず離れずの距離を保ったまま、なんとなく一緒に居る」という状態に馴れておらず、私はといえば、そういう「馴れてない」相手と一緒に居ることに馴れてない。そういうわけで行き違いはしょっちゅうだし、言葉が足りない、言い方が悪い、だのと言い争うことがたびたびある。その衝突の仕方が、互いの甘えゆえという「男女付き合いでよくある馴れ合い」の一環としてではなく、そもそもその甘え自体認識してない(未経験だから)ので、根本からなぜそうなのかと説明しなければならない。これが若ければお互い未経験、経験が少ないからとそれすらも新鮮であったりするのだが、ある程度(しかも片方だけに)経験があると「またか」というため息へ変換されてしまうばかりだ。“昔そんなことあったな”と柔らかい目で懐古するほどには年をとっていないというのも厄介だ。こっちは空気読めと思ってしまっても、その空気を読むに必要な経験値がそもそも足りないわけであるのだから、いっても仕方がないのだ。そんなことはわかりきっているのだが、疲れているとついつい反発する気力のほうばかりが沸き立ってしまう。しかしだからといって不思議と選択肢の中に(時々浮上するとはいえ)別々になるというのは生じない。メール上の行き違いをなんとか顔を見て話をすることで解消しようとする努力を図れる程度には、まだお互いの愛情があるということだ。相互理解へ到るための弁証法的プロセスともいえる、そういったイザコザは、互いの前提条件を身体に覚えこませるためには必要十分条件とはいえ、いささか面倒で、しかも非常に疲れる。
「寄って来るのは自己主張の強い“俺様キャラ”ばかりだ」と男友達に愚痴ってみると、「それはそういう相手を自分が求めているというのもあるでしょう」と冷静に返されてしまった。それは、まあそうだけど。基本的には来るものは拒まず(定員数1名)なので、えり好みをしているわけじゃないのだが。とはいっても、自己主張がなくナンでも君の好きにすればいいよといわれたって途方に暮れてしまうし、だいいち主張しあえず「文明の衝突」がない相手なんて、つまらない、とは思っている。卵が先か鶏が先か。どちらにしろ、何故この人と一緒にいるのかという問いを身体に抱えつつ、まだもう少し、ヤマアラシのジレンマは続きそうではある。
なるほど。
by きりきりととと (2007-04-26 23:30)
そう言えば
あたくしガンダムオタの鉄道ファンだ(w
by ひかりこ (2007-04-27 19:18)