横溝正史読んでます。(と市川崑ネタについて) [書を捨てよ、街へ出よう(読書感想)]
こと読書に関しては特にジャンルを決めず、何でも読むようにしている。最近借りてきたのは「憲法と平和を問いなおす」(長谷部恭男)、「対話の回路」(小熊英二)だったりするし。例外としては経済関係で、どうも経済に関しては私の低調頭具合ではどうしても理解できないので手に取る気にはなれないのだ。閑話休題。
ハニーコミヤマは非常なミステリー好きである。私もミステリーは嫌いではないし、むしろ小説読み始めた頃はポーやら江戸川乱歩を貪っていたクチだったりする。ただ最近は読まないだけで。以前彼と一緒に「犬神家の一族」を観に行った際、市川崑はどうしてこうも横溝正史の原作をダメにしてしまうのかとぶつくさ言っていたのが気になり、ちょっくら原作を借りてみた。恥ずかしながら横溝正史って全然読んだことないのです。イヤハヤ。だがポクっと読むと、意外に釣り込まれ、そこからはまってズンズンと読んでいる。
「本陣殺人事件」は、本格密室殺人事件モノとして有名。トリックにいささか無理があるような気もするが、それでもよくできていると思う。そして「獄門島」。見立て殺人モノというか、日本の因習と「家」意識といったうっすら郷愁すらかきたてられるような内容であった。旧世代と戦争後たくましく生きる新世代との世代交代を読み取れるところもあるのがいいよね、とハニーコミヤマ。だからあの映画「獄門島」はそういう要素を全部ひっぺがして「女のかなしみ」なぞという青臭い小さな金枠へ押し込めてしまっているからダメなのだ、と息巻く。それは私もそう思う。
市川崑という映画監督の作品について考える際、以前中野貴雄氏のコラムを読んでてでてきた林海象に対する感想ーーアイデア100点出来は赤点、というのをいつも思い出す。様式美はそれ自体で重用される場合もあるが、なんでもかんでも当てはまるというわけではない。「黒い十人の女」なんて船越英二の名演、ならびに山本富士子と岸恵子と岸田今日子と宮城まり子と中村玉緒が同じ画面に鎮座しているだけでおなかいっぱい感があり、編集が悪いので途中もたつく。つまりは退屈な映画なわけだが、スタイリッシュではあるので、様式美だけ鑑賞すればよろしいってな映画であったりするわけだし。「東京オリンピック」は山口瞳が「大衆を馬鹿にするな」って批判したぐらいで、ようは或る意味不器用というか己の図式にこだわりすぎるきらいがある。だから畳みかけるような展開とスピード感を重視するような「四十七人の刺客」なんて映画は大失敗したわけだ。まあそんな話はさておき。
横溝正史の原作自体様式美的な側面も有り、またそれを基調として映画を作りたくなる欲望に駆られるのは十分理解できるが、(そして撮れば成功するわけだけれども)どうも原作を読み進めていけばいくほどワンセットで語ってはいけないな、と思い始めた。ミステリーなんて様式美っすよっていわれてしまえばそれまでだけれども。とにかく面白いです。横溝正史は。
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