愛と幻想のカリフォルニア [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]
こんなに寒いと、ラッツォでなくても、フロリダかカリフォルニアへいきたくなってしまう。葉はすべて落ちてしまったし、道は既に冷え切った断面を晒している。それでも日差しに少しずつ、温かみが加わり、そう、もうすぐ春になる。カリフォルニアは遠くなる。柔らかさを増した水に心地よさをかんじられるようになる日も遠いことではない。生暖かい風が埃っぽく乱反射する空気を切り裂くように私たちの間を駆け抜けるのももうじきだ。既にぬれた歩道はあんなにも近づいているのだから。
だから、ああそう。うん。多分。きっと。おそらく、そして。
私はアナタを愛している。きっと。でもおそらくそれは事実。そう、私はアナタを愛している。なにかが自分の中で欠損しているんじゃないかと思うぐらい、昼も夜も、私はおまへを愛しているよ、一生懸命だよ、とつぶやいたあの詩人と同じくらい単純に。愛している。身も世も捨ててこの気持ちの中に。だけどもう。
そういう妄執はいやになった。やめた。嫌だ。血の滴る肉を食べるのが不意に飽きるのと同じように。キライなんだもう。そういう自分にほとほと嫌気がさした。いつかみた幻想にいつまでも執着している、この卑小で矮小な自分が。心のそこから。
そうなったのだから。魂はすでに午前4時を迎えて、すべての真実がもうすぐあらわになるこの瞬間。クルマも洋服も捨てて、もっている紙幣すら焼き捨てて荒野へと旅立った青年と同じような衝動にかられて、こうして歩いてしまうのだ。俗世の交わりを捨て、捨家しようかふと思いつつ。花咲くころの春に逝くことを望んだ漂泊の僧侶のように。すべてを捨ててどこかへ行こうと強く願う。
でもそこはカリフォルニアではない。
私の中のカリフォルニアへ旅立つしかないのだ。ここよりも遠い、かの地へ。血だらけになって歩き続けるには、石のように重いこの感情がなによりも不適切だ。
だから私はアナタが嫌いだ。いまこの一刹那から。では行ってきます。さようなら。
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